“あさま山荘事件”で人質に 牟田泰子さんがかたくなに口を閉ざした理由 「私は死んだ方がよかったのか、と悩んでいた」【追悼】
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は11月13日に亡くなった牟田泰子さんを取り上げる。
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1972年2月19日、長野県軽井沢町にある、河合楽器の保養所「あさま山荘」で管理人を務める牟田郁男さん、泰子さん夫妻の穏やかな暮らしは激変した。
郁男さんが愛犬の散歩中、銃や爆弾で武装した連合赤軍のメンバー5人が館内に侵入、一人でいた泰子さんは人質に。籠城は10日に及び、銃撃戦に日本中が震撼(しんかん)した。...

