高市首相答弁「日中関係悪化」に「朝日が一役買った」で思い出される過去の問題

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 高市首相の国会答弁に端を発した日中の対立は収束の気配を見せていない。問題発生直後は、「高市首相が悪い」派と「中国が悪い」派と「野党が悪い」派が存在しているように見えたが、急にそこに「朝日新聞が悪い」派も台頭してきている。

 この「朝日新聞が悪い」という主張は主に以下のようなものだ。

「高市答弁を受けて、中国の駐大阪総領事・薛剣(せつけん)氏がXに投稿した〈勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟が出来ているのか〉という暴言は、その下に朝日新聞の速報が引用されている。

 問題は、当初、この速報のタイトルが、

『高市首相、台湾有事〈存立危機事態になりうる〉 認定なら武力行使も』

 となっていた点である。

 このタイトルは、配信の6時間後には、

『高市首相、台湾有事〈存立危機事態になりうる〉 武力攻撃の発生時』

 に変更されている。前者のほうが後者よりも武力行使に日本側が前のめりのように取れる。

 後者の見出しであれば、『汚い首』のような激しい反応を呼ばなかった可能性が高い

 つまり事態のエスカレートに朝日新聞が関与しているのは間違いない」

 朝日新聞側は「汚い首」発言が投稿された日時を根拠に、こうした見方を否定しているが、ネット上では「朝日がまたやった」といった声も目立つ。近隣国との関係に緊張感が走る際、朝日新聞などいわゆる「リベラルメディア」が問題をややこしくしてきた、という意見を持つ人は少なくないからだ。靖国問題、従軍慰安婦問題はその典型だろう。

 産経新聞元記者のジャーナリスト、三枝玄太郎氏は著書『メディアはなぜ左傾化するのか 産経記者受難記』の中で、自身が経験した「教科書問題」にまつわる騒動を取り上げている。これもまたメディア側が騒動の拡大に一役買った事例と言えるかもしれない。

 三枝氏が宇都宮支局に在籍していた2001年、当地で起きた騒動を見てみよう(以下、『メディアはなぜ左傾化するのか 産経記者受難記』をもとに再構成しました)。

 ***

歴史教科書を巡るマッチポンプに呆れる

 宇都宮支局にいた2年間は人生で一番充実していたともいえるほど、楽しいひとときだった。

 2001年6月に予定されていた人事異動は、7月29日に参院選の投開票があったために延びた。が、そんなことはむしろどうでもよく、却って宇都宮に1日でも長くいられることが幸甚だった。

 そんななか、7月12日付けの朝日、毎日新聞の夕刊1面にある独自ダネが掲載された。

「つくる会教科書 栃木の公立中、採択方針 歴史 2市8町の30校で」(朝日)

「『つくる会』中学歴史教科書 公立初の採択へ――栃木の地区協」(毎日)

 すでに過去の話になりつつあるので当時の状況を説明しておこう。「つくる会」とは「新しい歴史教科書をつくる会」の略称である。彼らの目的は、日教組に代表される左翼的な歴史観に染まった日本史の教科書とは異なる「新しい歴史教科書」を作り、教育現場でも使ってもらうということだった。東京裁判史観に代表される「自虐史観」からの脱却を訴えていたことになる。

 こうした運動には当然、反発があった。「右傾化した歴史を子供に教えてはならない」ということである。

 もともと「つくる会」の代表である藤岡信勝氏や西尾幹二氏らは産経新聞の常連執筆者でもあり、また主張も産経新聞とは非常に親和性の高いものであった。また「つくる会」の教科書は産経新聞の関連会社である扶桑社から刊行されることになっていた。

 これが朝日、毎日にとっては対立する側の運動であるのは言うまでもない。彼らにとっては、このような教科書が中学校に採択されるなど許しがたいことだった。当然、この独自ダネも「こんなことは許せない」という認識が前提にある。

 特に熱心な朝日に至っては、次のような記事を社会面で「受け」記事として掲載した

「この(扶桑社版)教科書には『侵略の事実を隠し、日本の歴史を美化している』との批判が強く、『国際協調の精神を養う』という指導要領が定める目標に反するとの指摘もある。(略)自民党は5月、「公正性が損なわれないよう監視する」ことを都道府県連に通達。扶桑社版に批判的な動きをけん制する結果になった。」

 要するに、問題ある教科書が採択されそうになっており、その背景には自民党のバックアップもある、と言いたいわけである。

 朝日新聞は二人のコメントも掲載している。いずれも扶桑社版に批判的なコメントである。

マッチポンプ

 朝日、毎日の力の入りように比べると、産経新聞の宇都宮支局内は「ふ~ん」という空気で、これがそれほど大事になるとはそのときは誰も思わなかった。

 当時の支局長は、社会部が長く、それも警視庁などの事件で鳴らした人で、こういう思想モノを目を剥いて追いかけるタイプではなかったし、デスクも文化部畑の人で、同じく思想信条は中道な人だった。

 当時、県警担当の僕は、参院選関連の選挙違反の取材を進めていた。内偵対象のうち、どれが逮捕、起訴となるのか、神経を尖らせる日々が続いていた。だから「つくる会」の教科書問題など、完全に興味の埒外だった。

 ところが、騒動は大きくなっていく。というより、専ら朝日や毎日などの左派紙が大騒ぎして炎上させたとしか思えないものだった。翌日には早くも朝日と毎日が1面で「韓国政府 日本文化開放を中断」などとする韓国政府の反応を特派員電で記事にした。文部省(当時)が「侵略を進出に書き換えさせた」とする、1982年6月に起きた教科書問題で、韓国紙が即座に報じ、韓国政府が抗議した推移などとよく似ている。

 宇都宮支局の県庁担当は「これは荷が重いですよ」「本社の社会部でやってくれるんじゃないですか」と言っていた。僕もそうなるだろうと高をくくっていた。

「扶桑社版教科書は何が何でも採択させない」とばかりに朝日や毎日はその後も連日報道を続けた。新聞に、まるで採択することが不公正であるかのように報じられては、栃木県の下都賀採択地区の協議会に動揺が広がるのは当然ともいえた。

 7月13日には大久保寿夫・小山市長が「慎重に対応されたし」と述べ、25日に異例の再審議が決まった。藤岡町教育委員会は16日、5人の委員全員の一致で協議会の決定を否決した。朝日の記事によると、「外交問題に発展していること」を委員が否決理由に挙げていることに鑑みれば、彼ら朝日などからしてみれば、してやったり、というところだろう。韓国政府の反応など、朝日や毎日のいつものマッチポンプに過ぎないからだ。

 17日には小山市、大平町の教育委員会も否決した。朝日は追い打ちとばかりに「待った その教科書 『子のため最良選択』」と題した宇都宮支局と社会部のものによる記事が出され、地元は「揺れている」と報じた。

 扶桑社版教科書の全国初の公立学校での採用は風前の灯となった。朝日はさらに21日にも教科書問題によって日韓の草の根交流が危機に晒されている、と報じた。

 この朝日の報じっぷりがいかに異様だったかは、読売新聞がようやく7月18日夕刊で「つくる会教科書不採用1市5町に」と初めて報じたことからも分かる。つまり朝日や毎日などの左派紙以外にとっては、大した問題ではなかったのだ。教科書の採択問題は、ある種の政治闘争と化していた。そして、下都賀地区で扶桑社版教科書が採用されることはなくなった。

匿名の抗議者たち

 一連の「採択」から「不採択」への流れを作ったのが朝日・毎日ならばそれを現場で推進したのは、ある種の運動団体である。

 ある町役場の職員は「これを見てください」と山のようなファクスの束を見せてくれた。見事に判で押したように団体名が印刷されていた。文面が同じフォントと文章でできており、末尾に署名が入れば完成、というような体裁になっている。

「賛成派とみられる人は個人名が多かった。大体700通。反対派は定型文が多く、約410通です」と職員は明かした。

 日教組は「特定教科書の不採択運動は行わない」と公式な会見では述べていたが、傘下の北海道教職員組合はレタックスで同じ文面の手紙を大量に送ってきた。

 公安当局が中核派系とみている「反戦運動」を展開する団体から来たものもあった。

 役所の人は匿名が条件だったが、皆、僕の取材には答えてくれた。

「反対派は特に組織的だった。県外の人ばかりという感じだった」(藤岡町)「800通の抗議と550通の支持の声がきた。業務に支障が出た」(野木町)「ファクスが鳴りっぱなしで冷静に対応できなかった。同じような文書で目を通すだけでも大変」(小山市)

 脅迫電話もあった。栃木市の教育委員長(宮司を務めていた)の家には深夜の1時、2時といった時間に「あんたのところのお婆さんは90歳だってね。石段から落ちなければ良いね」「神社が火に包まれちゃうよ」という脅迫電話がかかってきたという。

テロ攻撃も発生

 下都賀地区が採択を諦めたことで、嘘のように抗議は止まった。ところが、8月7日になって今度は東京都の都立養護学校の教科書として扶桑社版歴史教科書が採択されると、またしても朝日は総攻撃に出た。

「弱い者、狙い撃ち」と題して、大江健三郎氏のコメントを軸に社会面トップで大展開した。

 ところが、この記事が掲載されたまさにその日、皮肉なことに次のような記事が出た。

「『つくる会』入居のビルで不審火 警視庁、ゲリラ事件で捜査」

 毎日新聞も「信念に基づいた」と述べた都教育長の会見の左下に「『つくる会』入居のビル 放火される」と3段見出しの記事が出ている。

 読売の記事はもう少し過激で「本郷のビルで爆発?」という1面記事となっている。

 不審火だの放火だのというレベルでないことは明らかだった。

 10日には過激派のひとつである革労協反主流派が犯行声明を出した。声明では「都立養護学校への『歴史』『公民』教科書の差別主義的強行採決に対する、革命的報復」と書かれていた(読売新聞8月10日夕刊)。

 警視庁は革労協反主流派の拠点を家宅捜索するなど、捜査を進めたが、犯人は未検挙のままだ。結局、このテロは逆効果になったのだろう。東京都やこれに続く愛媛県では扶桑社版が使われた。

 毎年8月6日になると、広島市の平和記念公園では追悼集会が行われるが、朝から近隣では騒然となる。中核派系の団体がシュプレヒコールをあげるなどするからだ。広島市では2021年に「厳粛条例」との別名がある静謐な環境を守る条例を施行したのだが、まるで守られていない。

 未来の子供たちのため、平和を守るため、戦争を起こさないためと左派や朝日、毎日新聞などは言うが、そのための手段が脅迫や暴力を伴っては本末転倒ではないか。

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