通学時間にYouTubeを見ていたら“成績上位”に 今季2勝の「東京大学野球部」主将・杉浦海大が語る“令和の文武両道”
今年で100周年を迎えた東京六大学秋季リーグは、明治大学の全勝優勝で幕を下ろしたが、リーグ戦2勝を挙げた東京大学の健闘も光った。そのチームを精神的な支柱として支えたのは、主将の杉浦海大(すぎうら・かいと/21歳)だろう。
学生生活最後のシーズンは、骨折による戦線離脱を余儀なくされたが、日頃から「多くの観客が詰めかけた神宮球場で、惨めな思いだけはしたくない」と鼓舞してきた主将の思いを引き継いだナインの奮闘もあって、チームは2勝をマークした。かつて東京大学のエースとして活躍し、プロ野球の世界に進んだ宮台康平投手に憧れ、同じ道を歩んできた杉浦選手に、学生時代の勉強法や目標との向き合い方を伺った。【白鳥純一/ライター】(全2回のうち第1回)
ベイスターズの打撃戦が楽しみだった幼少期
「主将として自分の思いや、チームに対する要求をひたすら訴えてきた成果が、徐々に結果として表れてくるような1年だったと思います」
野球に対する熱い思いと、卓越した理論で東大野球部を牽引した杉浦主将は2004年2月、2人の姉に次ぐ長男として、神奈川県横浜市で生を受けた。
幼少期を「活動的ではあったものの、とにかく不器用で、熱しやすく、すぐに冷めてしまうようなタイプだった」と振り返る杉浦少年と野球との出会いは、父が大ファンだった横浜ベイスターズ(当時)の試合観戦に訪れた小学校1年生の頃に遡る。
「当時は経営権がDeNAに移行するタイミングで、今とは比べ物にならないくらいチームも弱かったですけど、たくさん点を取られても、打撃で取り返す試合展開や、特に2013年に加わったトニ・ブランコ選手(故人)の活躍を楽しみにしていて、年間20試合くらいはスタジアムに通っていましたね」
野球観戦を通じて野球の魅力に触れた杉浦少年は、小学校2年生の時に地元の少年野球に入部。憧れのスター選手に少しでも近づこうと、投手や内野手として競技に打ち込み、実力を伸ばしていった。
通学時間のYouTubeで学年上位に
その後も野球に明け暮れた杉浦選手は、小学校6年生の時に「みんなと同じ学校に行くのが何となく嫌で、あえて別の学校に行ってみたいという“遊び心”が芽生えた」ことから中学受験を決意。やや遅めのスタートながらも、塾に週3回通い、土日は野球に没頭する日々を過ごし、難関校として知られる横浜市立南高校附属中学校(偏差値61・2025年四谷大塚調べ)の合格を勝ち取った。
「学費の高い私立に通うことに対して、漠然と申し訳ない気持ちがあった」ため、入試は同校の単願だったものの、杉浦選手はそのプレッシャーをものともせずに難関を突破。中学受験で経験した「学ぶ楽しさや、計画を立てて物事を進める大切さ」は、現在に至るまでの人間形成にも影響を及ぼしているそうだ。
そして、中学でも軟式野球部に入部すると、持ち前の肩の強さが認められ、2年生の時には、同学年では唯一のレギュラーポジションを獲得。投手や内野手として活躍する傍らで勉学にも励んだ。
「勉強を重視する学校の方針もあり、野球部の練習は週4日で、じっくり家で勉強に打ち込めたので、空いている時間に参考書をしっかり読み込んだり、何度も問題を解いたりして過ごしました」
入学時は「学年のちょうど中間くらいだった」という成績も、日に日に上昇気流を描き、2年生の初め頃には学年の最上位層に。負けず嫌いな性格が功を奏し、
学校が掲げる「自主自立」の精神を体現するかのような青春を過ごした。
「今振り返ってみて『良かった』と思っているのが、毎日の通学時間にアプリやYouTubeで、数学や英語の動画を見ていたことです。楽しみながら見ているうちに、いつの間にか中学の学習範囲を終わらせてしまっていて、そのおかげで、野球に時間を取られる高校以降も、勉強面でさほど苦労することなく済んだのかなと感じています」
そう語る杉浦選手は、成績向上の秘訣について、こう続けた。
「学校のテストを意識せずとも、日頃からテレビを見るような感覚で勉強に繋がる情報と向き合えていたことが大きかったように思います。時間をかけて勉強を続けているうちに、暗記が得意な一方で、数学や立体空間を把握することが苦手だとか、自分の特徴に気付かされて、そこから本当の意味で自分に合った勉強法がわかったような気がします」
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