男たちを圧倒した「肉体派女優」から「国際派」へ 素顔は役柄と正反対、戦後から平成を駆け抜けた「京マチ子」の凄さとは【昭和女優ものがたり】

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 2019年5月14日、女優・京マチ子の訃報が報じられた。どの新聞記事も、かつて国際映画祭の賞を受賞したことを中心とする短いものだった。占領下の日本映画界で異彩を放ち、映画史に残る実績を残した人物の訃報としては寂しく感じた。果たして京は「忘れられた女優」だったのだろうか。その足跡を出演作とともにたどってみたい。【稲森浩介/映画解説者】

「肉体派女優」の誕生

 京は1924年に大阪で生まれ、10代で大阪松竹歌劇団(現在のOSK日本歌劇団)に入団する。1949年に大映にスカウトされ、映画女優の道を歩み始めた。エキゾチックな容姿とダイナミックな表現力は、「痴人の愛」(1949年)への出演で大きく注目され「肉体派女優」と称せられた。

「痴人の愛」は、真面目な会社員・河合譲治(宇野重吉)が、カフェーで出会った15歳の少女ナオミ(京マチ子)を自分の理想の女性に育てようとするが、逆に奔放なナオミに溺れていく話だ。

 戦中、男たちは勇ましく振る舞い、女性には服従と報国を強いてきた。しかし、敗戦とともに進駐軍に占領されると、たちまち意気地も活力も失っていく。ナオミの肉体に溺れ、彼女を背に乗せ部屋を周る譲治の姿はその象徴に見える。一方ナオミは、男の思い通りにはならずに自分の欲望のまま生きる女だ。京は戦後の新しい価値観で生きる女性を演じたのだ。

 評論家の川本三郎氏も「京マチ子は、その豊満な肉体で男たちを圧倒し」「戦争で意気消沈している日本の男たちにとって、あまりにもまぶしかった」と記している(「ユリイカ」2019年8月号)。

「羅生門」で国際派女優へ

 京はその後も、「浅草の肌」(1950年)、「牝犬」(1951年)、「偽れる盛装」(1951年)などの出演が続いたが、「肉体派女優」と呼ばれることを嫌がっていたという。

 しかし、女優人生を大きく変える黒澤明監督の「羅生門」(1950年)に出会う。当初は原節子を予定していたが、都合がつかず京に白羽の矢がたった。そのためだろうか、役への覚悟は尋常でなかったという。当時のことを黒澤が書き残している。

「京ちゃん(マチ子)の熱心さに閉口した位である。なにしろ、私がまだ眠っている枕許に台本を持って坐り、『先生、教えておくれやす』と、云うんだから驚いた」(黒澤明『蝦蟇の油』岩波書店)

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