男たちを圧倒した「肉体派女優」から「国際派」へ 素顔は役柄と正反対、戦後から平成を駆け抜けた「京マチ子」の凄さとは【昭和女優ものがたり】
大女優の穏やかな日々
この原稿を書いている時に、仲代達矢の訃報が流れた。仲代は京と「鍵」(1959年)など4作品で共演している。2019年3月に開催された「京マチ子映画祭」では、俳優になる前から京のファンだったと言い「女優気取りはまったくない人だった」と語っている。
仲代は亡くなる直前まで舞台に上がり「生涯俳優」を貫いたが、京は引退を宣言することもなく、2006年の舞台出演を最後に、表に立つことはなかった。
京は私生活をあまり語らないことでも知られていた。同じマンションに住む若尾文子や石井ふく子氏らとの交流の様子が伝えられたぐらいである。そして親交のある人たちは皆、素顔は演じる役とは正反対だったと言う。
京をよく撮影した写真家の早田雄二氏は、「地味で純情で釣りを愛し、読書を好んだ」と言い(「文藝春秋」1989年12月臨時増刊号「スタア 早田雄二の世界より」)、「夜の蝶」(1957年)などで共演した山本富士子は、「ほんとにまじめな方でした。艶やかな外見とは裏腹にむしろ地味な方でした」と語っている(「キネマ旬報」2019年7月下旬号)。
最後に姿が見られたのは、2014年、俳優・歌手の池畑慎之介(ピーター)のブログに登場した時だ。そこには白髪のほっそりとした女性が、穏やかに微笑む姿があった。




