「不当解雇だ」と大激怒も…球界を騒然とさせた情け容赦ない“大量解雇劇”

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話がまとまらなかった

 その後、高木は日本ハム、屋鋪は巨人、山崎はダイエー、大門は阪神への移籍が決まったが、市川と松本は「球団がトレード先を探す」という条件で退団に合意したにもかかわらず、最終的に現役引退となった。

 ちなみに高木が戦力外通告を受けた直後、当時西武にいた清原和博から電話があり、「明日は我が身ですからね」と同情するかのように言ったという。「お前は大丈夫だよ」と答えた高木だったが、12年後、奇しくも清原はFA移籍した巨人から非情の戦力外通告を受けることになる。

 2004年オフの中日も、助っ人3人とトレード移籍組を含む16人が退団した。

 前年オフに就任した落合博満監督はトレード封印を宣言し、現有戦力で1年目を戦ったが、シーズン後には「必要ない」と判断した15人程度に戦力外通告をすることを春先の時点で明らかにしていた。

 5年ぶりのリーグ優勝を達成したシーズン後、落合監督は「戦力の見極めは終わった。今年は(補強に)積極的に動く」とV2を目指して大鉈を振るうことを宣言、11月3日には山北茂利とロッテの捕手・清水将海との交換トレードを成立させた。

 新外国人としてアレックス、横浜の主砲・ウッズを獲得し、11月17日のドラフト会議でも球団史上最多の11人を指名、ドラフト後の同20日にも正津英志、宮越徹と西武・大友進、玉野宏昌との2対2の交換トレードを成立させた。

 その一方で、川崎憲次郎と善村一仁が引退、筒井正也、植大輔、前田新悟、湊川誠隆が自由契約となり、紀藤真琴、小山伸一郎、酒井忠晴、関川浩一が無償トレードで新球団の楽天に移籍した。

 さらにプロ8年目の内野手・筒井壮も第2回トライアウトが行われる前日の11月23日になって、「トレード要員として他球団との交渉を進めてきたが、話がまとまらなかった」として戦力外通告を受けた。

血の入れ替えが必要

 すでにドラフトも終わり、各チームの陣容が固まりつつある時期の肩叩きに、筒井は「早く決めてくれることに越したことはなかったのですが……」と戸惑いを隠せなかった。

 だが、捨てる神あれば拾う神あり。

 叔父・星野仙一氏がシニアディレクター(SD)を務める阪神の岡田彰布監督が「オレがファーム(2軍監督)のとき一緒にやってる。元気があるからな」と救いの手を差し伸べ、晴れて移籍が決まった。

 星野氏といえば、前出の落合監督同様、阪神監督就任1年目のシーズンを4位で終えた2002年オフ、「チームの“ぬるま湯体質”を変えるには、血の入れ替えが必要」と大リストラを断行したことで知られる。

 星野伸之と葛西稔は引退したほか、坪井智哉、山田勝彦、伊達昌司、松田匡司の4人はトレードで放出された。そして、舩木聖士、横田久則、遠山奨志、伊藤敦規、弓長起浩、成本年秀、吉田浩らに4人の助っ人を加えた計18人が戦力外となった。

 それと入れ替わりで、FAの金本知憲をはじめ、伊良部秀輝、下柳剛、野口寿浩、中村豊、佐久本昌広、石毛博史ら移籍組10人と、ウイリアムスとポートの新外国人2人、ドラフトで杉山直久、江草仁貴、久保田智之ら11人の計23人を入団させた。チーム全体の3分の1を入れ替えるという荒療治の結果、翌03年、阪神は18年ぶりの優勝を実現した。

 大量解雇だけではなく、新加入の戦力がどれだけ働けるかが、翌年のチームの浮沈のカギを握っていることがよくわかる。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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