阪神抑えのエース“幻のドジャース入団”も…メジャー挑戦を断念した「名選手列伝」

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5人の監督すべてを胴上げ

 04年オフ、FA権を取得した稲葉は、ヤクルトの年俸1億円の2年契約を断り、メジャー挑戦の夢を叶えようとしたが、年明け後も移籍先が決まらない。

 最後の交渉相手・アストロズも2月下旬になって「もう少し待ってほしい」と回答してきた。「自分は本当に必要とされていない」と思い知らされた稲葉は「日本で暴れてやろう」と気持ちを切り替え、前年から23%ダウンの年俸6000万円で日本ハムと1年契約を結んだ。

 移籍2年目の06年、稲葉は打率.307、26本塁打、75打点でチームの日本一に貢献するなど、20年間の現役生活で6度の優勝を経験し、ヤクルト時代も含めて仕えた5人の監督すべてを胴上げしたことでも知られる。

 2010年代では、鳥谷敬(阪神)、松田宣浩(ソフトバンク)、菊池涼介(広島)らがメジャーに挑みながら、最終的に夢を断念している。

 挑戦時期がもう少し早ければと惜しまれたのが、鳥谷である。

 2014年、3番ショートでフルイニング出場し、自己最高の打率.313をマークした鳥谷は11月11日、海外FA権を行使し、メジャー挑戦への第一歩を踏み出した。

 その後、ブルージェイズ、ナショナルズなどが興味を示したが、メジャーにおける日本人内野手の評価が低いことから、交渉は長期化した。

 日本では抜群の身体能力を誇り、3年連続フルイニング出場を果たしたタフマンも、体格的に見劣りするメジャーではあまり評価されず、翌年34歳になる年齢的な不安も影響したとみられる。

 こうした事情から、5年総額20億円の大型契約を用意して全力で慰留に努めた阪神の熱意に応える形で、15年1月9日、残留が決まった。

 もし海外FA権を取得した12年オフにメジャー挑戦に踏み切っていれば、西武の内野手・中島裕之がアスレチックスと2年契約を結んだ時期で売り手市場だっただけに、メジャーリーガー・鳥谷が誕生していたかもしれない。

来年も一緒にやるつもりで

 もともとメジャーにそれほど興味はなかったが、「自分がメジャーに挑戦できるチャンスをもらえるのかどうか、確かめるのは今しかない」という理由で2015年オフに海外FA権を行使したのが、松田である。

 同年、自身初の30本塁打超え(35本塁打)を実現し、チームの2年連続日本一に貢献した松田は、シーズン後の11月9日、「短い野球人生、悔いのない決断をするために自分の評価が知りたい」とFA権を行使した。

 パドレスなど4球団が興味を示し、12月にはパドレス入りに9割方気持ちが傾いていたが、そんな矢先にかかってきた王貞治球団会長からの電話が残留を決断させた。

「来年も一緒にやるつもりで俺はいるから。日本でやることがまだまだあるぞ」の言葉に、「うれしかった。ありがたかった。『行きます』とは言えなかった」と意気に感じた“熱男”は同24日、4年総額16億円でソフトバンクと契約した。

 今回紹介した顔ぶれを見ると、日本に残った結果、その後、恵まれた野球人生を送った者も多いが、それでもファンとしては「もしメジャーに行っていたら」と想像をたくましくさせられてしまう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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