「東克樹」と同期入団…元横浜DeNA「寺田光輝」が引退後に「医学部生」となった理由 「過去の栄光を忘れないと絶対に前には進めない」
アルバイトを続けながら学士編入で医大合格
2019年の秋にユニフォームを脱いだ寺田氏は、昼間は受験勉強、夕方からは塾講師として働きながら自身も通信制の予備校に通い、学士編入での合格を目指した。
「最初は国公立大を目指そうと思いましたが、『自分の学力では5年ぐらいかかってしまうだろうな?』と思うようになって。途中からは最短期間で合格を目指そうと、私立大医学部の受験に切り替えることにしたんです。プロ入り前はいずれも国公立大学で過ごしてきたのに、よりによって自分で初めて払うのが私立大の学費で……(苦笑)。費用を工面するのは正直大変な時もありますけど、何とかここまで通わせてもらっています」
寺田氏が2021年に合格を掴んだ東海大学医学部の学士編入試験は、SPIと理科科目について書かれた英文読解による一次試験と、試験を通過した受験生と教授の面談によって合格者が決められる(当時。現在は試験科目が異なる)。
順調に一次試験を通過した寺田氏は、その後1対4の面談に臨むことに。医師にとって身近な問題に対する10分間のプレゼンテーションが求められた試験では、自身の述べた意見を指摘される場面も見られたものの、寺田氏はその緊張に動じることなく、見事に難関をクリア。見事に合格を勝ち取り、医師への第一歩を踏み出した。
命の重みと向き合った
一般教養科目が免除される学士編入生のキャンパスライフは、新入生に遅れること半年後の1年次秋にスタートする。
「まだ右も左もわからないような入学2日目から、いきなり解剖実習が始まりました。授業についていくこと自体ももちろん大変でしたけど、実際にご遺体と対面した時に、命を扱う仕事の重みを痛感させられて、皆さん一人一人と向き合う中で、さまざまなことを考えるきっかけを与えてくれる機会になりました」
その後も勉強漬けの日々を過ごした寺田氏の学生生活は、現在5年目を迎え、国家試験や卒業、そして進路について向き合わざるを得ない場面も増えてきている。
「正直に言うと、国家試験合格に向けて予断を許さないような状況で……。『今のままでは間に合わない』と気付かされてから、毎日5時間ぐらいは勉強するようにしています。実際の進路選定は、医学部を卒業し、2年間の研修医を終えた後に決めることになりますが、内科系の医師として、スポーツにも携われたらなと。目標に向けて計画を立て、実行していく流れは野球と似ているところもあるので、その経験を活かして頑張っていきたいですね」
スキルのない自分を受け入れることが大切
引退後も充実したキャリアを歩む寺田氏だが、スポーツ選手の引退後の生活については、社会問題の一つとして議論されることも多い。寺田氏は「まだ僕は学生なので……」と謙遜しつつも、このように持論を展開する。
「スポーツ選手だった過去や残した功績を忘れられない人も中にはいらっしゃいますし、そこに頼りたい気持ちもわかりますが、一度それらの栄光を忘れないと絶対に前に進めない。少しキツい言い方かもしれませんけど、社会人としてのスキルがない自分を受け入れることで、初めてスタートラインに立てるのかなと思います」
最近もかつて横浜DeNAの先輩でもある平田真吾氏、梶谷隆幸氏ら「熱い思いを持つ」二人と再会し、互いのセカンドキャリアへの思いを明かす場面もあったそう。
「その日は『同世代の社会人は、僕らが野球をしている間にスキルを磨いてきた現実と向き合わないとダメだよな』とか、『野球以外の分野でも、社会の第一線で戦ってみたい』と語り合い、勇気をもらいましたし、お二人の熱に負けないように、僕も頑張らなければいけないなと改めて感じさせられました」
2025年のプロ野球はソフトバンクの日本一で幕を下ろしたが、その裏では今年も多くの選手がユニフォームを脱ぐ決断を下した。迷いの中で立ち止まる選手たちにとって、夢に向けて邁進する寺田氏の姿は、希望の光となることだろう。医師としてセカンドキャリアを歩もうとしている寺田氏の今後からも目が離せない。
第1回【プロ野球選手から「医学部生」に…元横浜DeNA「寺田光輝(33)」が“E判定”から半年で“国立大合格”を掴んだ勉強法】では、寺田氏がどのような受験期を過ごし、国公立大学への切符を手にしたのか、当時のエピソードを交えて述懐します。
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