「東克樹」と同期入団…元横浜DeNA「寺田光輝」が引退後に「医学部生」となった理由 「過去の栄光を忘れないと絶対に前には進めない」

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 2017年に横浜DeNAベイスターズのドラフト6位指名を受けた寺田光輝氏は、怪我の影響もあり、2年間での引退を余儀なくされたが、その後は1年半の受験生生活を経て、東海大学医学部に合格。現在は5年目の学生生活を過ごしている。大学中退や独立リーグでのプレーを経て、プロに入りを果たした寺田氏に、思い通りのキャリアが描けなかった現役時代の記憶や、医学部生として勉学に励む現在の日々を語ってもらった。(全3回のうち第3回)

ドラフト指名は信じられなかった

 筑波大学を経て、独立リーグの石川ミリオンスターズで2年間プレーした寺田氏は、25歳で迎えた2017年のドラフト会議で横浜DeNAベイスターズの6位指名を受け、プロ野球選手としての第一歩を踏み出した。

「学生時代に補欠も経験したことがあるような選手でしたから、指名していただけたこと自体が信じられませんでしたし、どこか夢見心地なところがありました」

 ドラフトの日をそう振り返る寺田氏は、東克樹投手や山本祐大選手ら、現在のチームを担う同期選手とともにプロのキャリアを歩み始めたが、実力の違いに戸惑う場面も少なくなかった。1年目は二軍で13試合に登板するも、0勝1敗、防御率6.00の成績に終わり、思うようなパフォーマンスは発揮できず。6月26日のイースタンリーグ、東北楽天戦の試合後には椎間板ヘルニアを発症し、手術のために戦線を離脱した。

「6月頃から急に痛みを感じるようになり、やがて歩くのもしんどいくらいにまで症状が悪化してしまいました。すぐに手術をすることになったんですけど、1年目はそのまま復帰することなくシーズンを終えることになってしまって。自分が戦力になれていない状況に肩身の狭い思いをしたり、まるでチームの一員でないような寂しさを味わったりすることもありました」

悔しさすらも感じなくなった

 まだ万全なコンディションではない中、プロ入り2年目シーズンに臨んだ寺田氏は、序盤から好調を維持し、捲土重来を期したが……。キャンプを終えた3月に肩を負傷。さらなる試練が襲いかかった。

「肩を怪我してから全くストライクが入らなくなってしまって、当時は誤魔化しながらストライクゾーンに投げ込むような状態で、マウンドに上がっていました。開幕後の4月の末頃にはもう、悔しさすらも感じなくなってしまっていました。プロ野球選手としてのプライドや使命感は忘れてはいけないと思っていたので、『何とか結果を残せたら』という苦肉の策でアンダースローに転向し、そこから多少成績はマシになりましたけど、現役選手として残された時間が長くないことは明白でした」

 自分に戦う気持ちが残されていないことを悟り、「春先には引退を覚悟していた」と話す寺田氏。そこから引退までの約半年間は、「プロとして思い残すことがないように」と苦しみながらも野球と向き合う時間を過ごした。やがてシーズンも終盤に差し掛かり、次のキャリアについて真剣に考える場面も増える中、寺田氏が選んだのは、過去に挑戦するも力が及ばなかった医学部への進学だった。

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