プロ野球選手から「医学部生」に…元横浜DeNA「寺田光輝(33)」が“E判定”から半年で“国立大合格”を掴んだ勉強法
E判定から半年で合格を手にできた理由
「部活を引退してからは長時間勉強に取り組めるようになったので、最初は英単語の暗記や、やれば結果が伴うところから勉強を始め、少しずつ出来る問題を増やしていきました。徐々に成果が表れてくると、だんだん勉強も楽しくなってきて、苦手意識も薄れていきましたし、勉強に臨むモチベーションの向上や自信にも繋がっていたのかなと思います。そして、ある程度の基礎ができた後は、“本番で1点でも多く取れるように”と、何度も過去問を解き直すことを心がけていました。僕は受験科目を絞ってしまいましたけど、どの科目も“入試までにたくさんの問題に向き合うことが大切なのかな”と感じています」
さらに寺田氏は、国公立の受験対策に対する私見をこう続けた。
「国公立大学の二次試験では記述の問題もありますけど、個人的には“まずは共通テスト対策から始めても良いのでは?”思っています。マークシート方式なので、きっと何となく解ける問題もたくさんあるでしょうし、正解の多い方がやる気も引き出せるんじゃないかと。個人差はあると思いますが、僕は“自信を付けてから、記述の対策を始めても遅くないのかな?”と感じています」
レベルの高さに直面し、わずか3ヶ月で休学
三重大学の現役合格を手にした寺田氏は、大学で華々しい活躍を見せ、プロ球団の指名を受ける夢を思い描いていたそうだが、思わぬ壁に直面する。
「最初は“ここで活躍して、4年後のドラフト指名を受けよう”と野球部に入ったんですけど、周囲のレベルが本当に高くて。当時は“大学で頑張ればプロに行けるかもしれない”と高を括っていた部分もあったので、自分がそのレベルに到底及ばない現実を思い知り、なぜ大学に来たのかがわからなくなってしまったんですよ」
大きな挫折を味わった寺田氏は、大学入学からわずか3ヶ月で休学を決断。人生プランの再考を余儀なくされることとなった。
第2回【地銀の内定を蹴って独立リーグへ…異色の元NPB投手「寺田光輝」がドラフト指名されるまで 夢に近づくために「自分の長所を極限まで磨き上げた」】では、地銀の内定を蹴り、独立リーグへ入団した寺田氏が、どのような苦労を経てドラフト指名に至ったか、当時の心境とともに振り返る。
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