プロ野球選手から「医学部生」に…元横浜DeNA「寺田光輝(33)」が“E判定”から半年で“国立大合格”を掴んだ勉強法

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 今年もプロ野球のドラフト会議が行われ、計116名(本指名73名、育成43名)の選手たちがプロ入りの切符を掴んだ。

 今から遡ること8年前、2017年のドラフト6位で横浜DeNAベイスターズに投手として入団した寺田光輝氏(33)は、怪我の影響もあり、わずか2年で自由契約の憂き目に遭った。だが、退団後に一念発起。東海大学医学部の合格を掴み取ったのだ。大学中退や筑波大学の再受験。そして独立リーグを経て、プロ野球選手の夢を叶えた後に医師の道へ。紆余曲折の人生を歩んできた寺田氏に、これまでの野球人生や学生時代の勉強法、そして文武両道の秘訣を語ってもらった。【ライター・白鳥純一】(全3回のうち第1回)

ドラフト同期・東克樹の速球に驚愕

「同期はみんな仲が良かったので、今も頑張ってほしいという思いで見守っています」

 現在は医学部生として勉学に励む寺田氏だが、かつては2017年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズの6位指名を受け、投手として2年間プレーした。

 同期のドラフト1位は、寺田氏と同じ三重県の出身で、立命館大学を経て横浜DeNAに入団し、エースとして活躍する東克樹。今季も14勝を挙げたチームに欠かせない左腕だ。

「新人合同自主トレで初めて彼とキャッチボールをした時、これまでの野球人生で見たことがないほどのストレートを投げ込んできて。驚いた僕は彼に尋ねると『7割くらいの間感覚で投げている』と言うんですよ。その言葉を聞いた時に『もしかするとこれは大変な場所に来てしまったのかもしれない……』と感じずにはいられませんでしたね」

山本祐大の活躍は想像以上だった

 そして同年の9位で指名されたのが、侍ジャパンに選出歴があり、チームの正捕手を務める山本祐大だった。

「あいつはすごく真面目ないい奴で、どんな時も下を向かずに、投手を鼓舞してくれて。今思い返してみると、だいぶ迷惑をかけたように思いますが、僕が打たれた時もマウンドで檄を飛ばしてくれたりして、頼り甲斐のあるキャッチャーでした。僕よりもだいぶ年下で、日本を代表するほどの選手になろうとは、当時は全く思ってもみませんでしたね」

 さらに2位の神里和毅、8位の楠本泰史(阪神を自由契約)ら、「入団時から仲が良く、今でも交流がある」と話す同期の名前を挙げていくと、自ずと懐かしさからか、寺田の表情は和らいだ。

ポケットモンスターとスポーツが好きだった幼少期

 スマホやPCには、「ゲームの序盤で助けられて大のお気に入り」と話すエーフィ(ポケモンの一種)のステッカーが貼られている。

 寺田氏は1992年、伊勢神宮や赤福餅で知られる三重県伊勢市で産声を上げた。開業医の父を持ち、長男でもある光輝氏の境遇からは幼い頃から厳格に育てられたかのような印象を抱かせるが、意外にも「特に何かを押し付けられるようなこともなく、やりたいことを自由にやらせてくれる家庭環境で育った」とのこと。

 小学校1年の時に地元のスポーツ少年団に入部。空手にも打ち込むなど、「身体を動かすことと、ゲームのポケットモンスターで遊ぶことが大好きな幼少期を過ごした」という。

「実は子供の頃は、野球よりもサッカーに興味があったんです」と話す寺田氏が、野球と出会ったのは小学校3年のこと。

 近所に少年サッカーチームがなく、スポーツ少年団で出会った多くの友人と共に地元の少年野球チームに入部した寺田氏は、その後野球に打ち込むことに。当時は投手と外野手を兼任していたものの、本人は「コントロールはイマイチで、自分では『センスがないな』と思ってプレーしていた」と当時を振り返る。

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