発見された女性の遺体には“手首と足首”に縛られた痕跡が… 「歌舞伎町ホテル連続殺人事件」が“昭和のネオン街”を震撼させた夜
令和の現在、主要な繁華街や駅改札やその周辺には防犯カメラが設置されている。街頭犯罪や凶悪事件の防犯・検挙に貢献していることは明白だ。しかし、昭和の時代はそうではなく、特に極めて“特異な空間”で起きた犯罪には、警察の捜査が及びにくかった。特異な空間とは、繁華街のホテルである。
日本有数の繁華街・新宿区歌舞伎町は、靖国通りと職安通りに挟まれている。西武新宿駅前に広がる同2丁目には都立大久保病院や大久保公園があり、特に同公園周辺には体を売る目的で客待ちをする女性が絶えない。2025年1~6月だけで、客待ちで摘発された女性は75人(前年同期は35人)に上る。交渉が成立すれば、近隣にあるホテルへと移動することになるが、歩きながら頭上を見上げれば、あちこちに防犯カメラの赤い灯が点滅しているのが目に入る。今から44年前――歌舞伎町のホテルで、3カ月の間に3件の殺人事件が起きた。いずれも未解決のまま時効を迎えたが、最初の現場は、まさに大久保公園から目と鼻の先だった……。(全2回の第1回)
第一の事件
1981(昭和56)年3月20日。午前9時半ごろ、歌舞伎町2丁目にある4階建てのホテル(客室数20)で、従業員が401号室に電話を入れた。チェックアウト30分前の連絡である。
しかし、応答がない。不審に思った従業員が部屋に出向き、スペアキーで鍵を開けて中に入ると、ベッドの上であおむけに寝ている女性が、布団を頭まで被った状態で動かない。午前10時に110番通報が入り、警視庁新宿署員が現場に駆け付け、女性の死亡を確認した。
女性は紺のブレザー、白のブラウスにタイトスカート。年齢は30~40歳くらい。服は着たままで、ハンドバッグと化粧品などが風呂場の浴槽に放置されていたが、財布はない。所持品に名刺入れがあり、歌舞伎町1丁目にある大手チェーンのキャバレーの名刺が入っていた。警視庁捜査第一課は新宿署に特別捜査本部を設置、捜査を始めた。
「名刺にあった店に照会すると、スタッフが遺体を確認して、『ラン』という源氏名で働いていた、北新宿のアパートに住む大阪市此花区出身の女性Yさん、33歳と分かりました。Yさんは2年前の4月に入店していましたが、店に提出した履歴書の情報をもとに、捜査本部が大阪府警や大阪市に照会したところ、“該当する人物はいない”との返事がありました」(事件を取材した元社会部記者)
Yさんは20日午前1時20分ごろ、男性と一緒にチェックイン。宿泊代8500円を前払いしていた。同日7時ごろ、男性が一人で退出するのを4階のエレベーター付近で従業員が目撃しているが、その際に顔を隠すようなそぶりを見せたという。司法解剖の結果、死亡推定時刻は午前2時ごろ、死因は首を絞められたことによる窒息死。Yさんは19日午後11時45分ごろに勤め先を出て、近くの飲食店で食事をとったあと、ホテルに入ったと推定された。また、当日受け取っていた日給、7000円がなくなっていたことも分かった。
「Yさんが最後に接客したのは3人組で、“都内の私立大学生”と名乗っていたことまで捜査本部は突き止めました。また、店にかかってきた男性からの電話で口論になっていたとの情報もあり、現金が奪われていることから、金銭トラブルが背景にあるのでは、との見立てもありました」(同)
身長151センチ、体重は46キロのやせ型だったYさんの身元を特定する捜査も進められた。しかし、住んでいたアパートには預金通帳や手紙など、身元に関する物は見当たらず、一緒に住んでいた飲食店従業員(23)への捜査では、
〈五十四年八月に同居して以来、何度か出身地を聞いたが、大阪出身というばかりで過去については口をつぐんだままだったという。事件発生以来、二日間の捜査でようやくわかったのは、五十三年三月に長野市内のサロン、同年十月には新宿のサロンに勤めていたことだけ。写真もきらいだったらしく、本部では台所の天井裏に古道具類といっしょに投げ込まれてあった二枚をようやく見つけだした〉(読売新聞 昭和56年3月22日付)
その写真を公開して情報を募る一方、さらなる捜索の結果、部屋にあったサマードレスの間からメモが見つかり、そこに本名や関西地方に住む実母らの電話番号が判明する。その結果、被害者は昭和52年10月に夫と子ども一人を置いて家出中だった、埼玉県所沢市の主婦(45)であることが分かったが、その先へ捜査は進まなかった。
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