「神田伯山」の大活躍に“弟子ながら感心”と目を細める「優しい師匠」 「頑張ってやってきた甲斐がありました」に込められた重みとは
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが俳優、歌手、タレント、芸人ら、第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第43回は、講談師・神田松鯉さんです。言わずと知れた神田伯山の師匠です。知られざる師弟関係の秘話を明かします。
【写真を見る】人間国宝の松鯉師匠が「自分の弟子ながら感心した」とべた褒めする講談界の人気者
ロングヘアだった頃も
これまで多くの有名人や著名人をインタビューしてきたが、人間国宝は三代目神田松鯉師匠(83)だけだ。師匠に話を伺うことができたのは、師匠と旧知の女性ライターの紹介で、原稿も毎回、彼女にお願いした。
師匠が人間国宝になったのは2019年。講談では六代目一龍齋貞水に続いて二人目。人間国宝の取材が初めてなら取材後や高座の鑑賞後、お約束のように一献となるのも松鯉師匠だけである。酒はとにかく強い。師匠と女性ライターと3人で2合徳利4、5本は楽勝ペース。こちらがちょっとでも手を緩めると師匠に「もっといきましょうよ」とハッパをかけられる。話が面白いから場も華やぐ。
「涙と笑いの酒人生」「生きるクスリ」といったテーマでは「私の場合、毎晩のお米のジュースが主食」とか「酒が主食だからご飯は人の半分」と語った。
松鯉師匠といえば、落語や講談で人気者になった六代目神田伯山(42)の師匠として注目されるようになったと一般的には思われているが、講談の世界では第一人者にして実力者であり、今もトリを務め、第一線で活躍している大物講談師である。
都内の演芸場の前を通る際にプログラムを見ると、師匠の名前が最後にあることも多い。現役バリバリなのはすごい。
その話も示唆に富んだものばかり。コロナ下の20年に担当した連載のタイトルを「講談 ブーム再来の舞台裏」としたのは、戦後の講談ブームは64年東京五輪当時にまでさかのぼることから。ヒゲの一鶴こと、田辺一鶴が新作講談で人気になり、その活躍で広く講談が知られるようになったが、結局、一過性で終わってしまった。
その理由は、派手な一鶴へのねたみもあったろうし、講談の基本である古典、それも連続物をやらなかったため、寄席に出かけたファンが戸惑ったり、がっかりしたり……ということも理由だったようだ。
そこで松鯉師匠が目指したのが連続もの。二つ目に昇進した頃(73年)は「徳川天一坊」をやった。その当時の髪型は、今からは想像もつかないロングヘア。「秘蔵写真」というテーマで伺ったことがあるが、それを見た立川談志に「おめぇはそのヘアスタイルで売りゃいいんだよ」と励まされたという。
[1/2ページ]


