筋肉は「芸」にあらず? 自己肯定感の高さが批判の的に…マッチョ芸人が抱える“悲しきジレンマ”
価値観の揺らぎの表れ
とはいえ、筋肉芸人が本気で否定されているわけではない。番組で批判的に扱われることがあっても、それはあくまでも笑いという着地点を想定した揶揄であり、存在そのものを否定する意図は薄い。芸人はどんなことも笑いに変換できる特殊な立場にある。芸人らしく芸に打ち込むのも良いし、芸人らしくないことをあえて行って、そこに生まれるギャップを笑いにするのも1つの芸である。むしろ筋トレは、意図的にスキを作るための行動として合理的であるとも言える。
さらに言えば、従来の「破天荒であるべき」「規律正しくするのは芸人らしくない」という古典的な芸人像そのものが、現代では時代遅れとなりつつある。若い世代ほどそういった古い価値観に対する抵抗が強く、自己管理や健康習慣を持つことが芸人らしくないとは見なされなくなってきている。筋トレが単なる自己満足だとは言えなくなりつつある。
結局のところ、筋肉芸人をめぐる論争は、芸人という職業のアイデンティティをめぐる価値観の揺らぎの表れである。芸人は笑いを生み出す職人なのか、笑いに直接関係のないことも含めて、自分自身をネタにし続けるエンターテイナーなのか。従来の価値観では前者であり、だからこそ筋肉に傾倒する芸人は「芸から逸脱した存在」として小馬鹿にされていた。しかしメディア環境が変わり、芸人の活動の幅も広がる今、後者の定義も力を持ち始めている。筋肉も1つのコンテンツとして成立する時代になった。
筋肉芸人への風当たりは、お笑い界における保守と革新のせめぎ合いを象徴している。古い芸人像を守ろうとする勢力と、新しい価値観を受け入れる勢力。その対立の最前線に筋肉芸人は立たされているのだ。
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