「頬げっそり」華原朋美がやり過ぎてしまうのはなぜ?それでも私たちが嫌いになれない理由

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 Xに投稿した「激ヤセ写真」が話題になった歌手の華原朋美(51)。同時期にデビューした他の女性アーティストたちが音楽性で評価され続ける中、彼女への注目はなぜ見た目に集まるのか……。ライターの冨士海ネコ氏が分析する。

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 紅白の出場者について少しずつ内定情報が出始めるなか、初出場の候補として思い浮かぶアイドルやアーティストは何組かいるが、ふと疑問が湧く。「そういえば、今年もトリはMISIAさん?」。そう、ここ6年連続で紅組のトリを飾っているのはMISIAさんだ。

 かつては大御所の演歌や松田聖子さんの王道バラードなどが大みそかの風物詩だったが、近年はバラード自体がヒットチャートから姿を消しつつある。TikTokでバズるのはテンポの速い曲ばかり。とはいえ「紅白のラスト」は、やっぱり「空に手を伸ばすほどに歌い上げる系」が似合う……そんな固定観念は根強い。

 ただ、この「歌い上げる」という行為、実はかなり高度な自意識を要するのではないか。感情を全開にし、自分の世界に陶酔することを許される人だけが成立させられる芸だ。ところが令和のSNS社会では、その「自意識の大きさ」こそが注目の的になってしまう。例えば、華原朋美さんや浜崎あゆみさんのように。

同世代歌姫たちと比べても際立つ特異性 「美」と「恋」に生きた朋ちゃんとあゆ

 10月初旬、朋ちゃんがXに投稿した打ち上げの写真が話題になった。頬がこけ、目の下に影が落ちる姿に、「痩せ過ぎでは」「また無理してるのでは」と心配したのはTK世代のわたしだけではないだろう。インスタグラムの投稿を確認するとそれほどでもないので、加工の可能性もあるが、いずれにせよ注目が集まるのは「容姿、特に体形の変化」だ。思えばあゆも久々の投稿写真で「痩せた」「昔のあゆに戻った」とネットがざわついた。二人とも、時代を超えて「見られる宿命」から逃れられない存在である。

 彼女たちが全盛期だった平成時代、朋ちゃんは「恋に生きる女性」の象徴だった。小室哲哉プロデュースのヒット曲と共に、恋愛そのものがキャリアの軸にあった。「愛される自分」を演じ切ることが、スターたることの条件だったのだ。「朋ちゃん」と自分のことを呼び、TKとののろけ話をハイテンションで語り、CDジャケットにはカルティエのラブブレス。平成のシンデレラストーリーを生き切ることが彼女の表現であり、時代の空気と完全に一致していた。

 あゆもまた、セルフプロデュースの天才だった。歌だけでなく自身のビジュアルやファッション、すべてが「作品」。デビュー同期にはMISIAさんのほか、宇多田ヒカルさんに椎名林檎さん、aikoさんなどそうそうたる面々が並ぶが、あゆは誰よりも「見せる」ことに徹した。色白で金髪巻き髪の白ギャルブームを巻き起こし、街中が彼女のコピーで溢れた。華やかなルックスなのに、寂しさや絶望を感じる歌詞も女性たちから絶大な共感を集めた。平成という時代は、感情も美も痛みも、徹底的に演出することで輝けた時代だったのだ。

 いま、同じ「平成の歌姫」であるMISIAさんは紅白のトリを独占中。椎名さんは政治性と芸術性を自在に操り、宇多田さんは米津玄師さんなど若いアーティストからの尊敬を集め続けてヒット曲を生んでいる。対して、朋ちゃんとあゆはどこか時代に取り残されたように見える瞬間がある。SNSでの発信はいつも話題を呼ぶが、その多くが「痛々しい」と切り取られてしまう。

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