鳥羽一郎、一番人気のデビュー曲「兄弟船」は「周囲から全く推されていなかった」 発売後も半年“鳴かず飛ばず”だった作品が『紅白』7回歌唱の快挙を遂げるまで

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 1982年のデビュー以来、「兄弟船」をはじめとして“海の男”や“無骨な男”をイメージさせる楽曲を歌い続けてきた演歌歌手の鳥羽一郎。近年は、同じ演歌歌手である実弟の山川豊や、二男の木村徹二との共演も増えてきたが、2025年9月10日、全シングル146作品とアルバム35作品をストリーミングサービスで解禁した。これを機に、それ以前から配信されていた主要シングルと近年の作品を対象に、Spotifyでの人気曲にまつわるエピソードを本人に聞いてみた。

 鳥羽の’25年9月現在のSpotify月間リスナーは約4万人(その後、全曲解禁し10月下旬には5万人に増加)。地域別で見ると大阪がやや高めになっている。人情深い作品が多いからだろうか。

「どうでしょう、デビューから数年間は大阪ではあまり聞かれてなかったんですよね。その後、『だんじり』『泉州春木港』『大阪湾』などのシングルでキャンペーンを仕掛けたのが良かったかもしれません」

 そんな鳥羽にSNSでの取り組みや、音楽の聴き方を尋ねてみると、

「最近はテレビやラジオの番組に出させてもらった時に、ショート動画を撮ってもらうことが増えました。でも、自撮りでどんどん投稿していく習慣はないですね。

 音楽は、家にジュークボックス型のプレイヤーがあって、レコード風のレプリカにCDが100枚入っているんですよ。それを使って洋楽のオールディーズをよく聴いています。夏になるとハワイアンやタンゴも聴きますね。鳥羽一郎の曲も入れているけど、自分ではあまり聴かないかな(笑)」

漁師→料理人→演歌歌手へ。船村徹の弟子になるべく直談判

 ここからは、Spotifyの人気曲ランキングに沿って見ていこう。第1位は、2位に5倍以上という圧倒的な差をつけてデビュー曲の「兄弟船」に。当時オリコン最高34位ながら、TOP100内に58週もチャートインする超ロングヒットとなっているが、それだけでなく、40年以上経った現在もカラオケの年間ランキングで演歌・歌謡曲部門(DAM、JOYSOUND調べ)で毎年TOP20に必ず入っている。まさに誰もが納得する1位だろう。

「波の谷間に 命の花が」と、独特な鼻にかかった力強い歌声で始まる楽曲で、船村徹らしい高低差の激しいメロディーは、まさに波に抗いながらも船を進めていくような景色が思い浮かぶ。

 鳥羽に、デビューまでの経緯を改めて尋ねてみると、

「もともと漁師をしていて、その後ホテルで数年間、和食の料理人の修行をしていました。でも、いつまでも見習いのままで、これでは埒が明かないと思い、もともと好きだった演歌歌手を目指しました。

 最初、五木ひろしさんが勝ち抜いてスターになっていった『全日本歌謡選手権』に応募したのだけど、予選会で落ちてしまったんです、2回も(苦笑)。それでも歌手の夢を諦めきれず、“(審査員だった)船村徹先生に会いに行くしかない!“と思い立ったんです。船村先生の歌は、『別れの一本杉』をはじめ好きな歌が多かったんですよ。

 船村先生のスケジュールは、同じく歌手デビュー目指して先に上京し、とある事務所の電話番もしていた弟(山川豊)に調べてもらいました。すると、毎週決まった曜日にテレビの生放送があり、その前日はホテルに泊まって、そのホテルの寿司屋で食事をされていることが分かり、会いに行って直談判したんです」

 その甲斐あって、鳥羽は内弟子にしてもらえることに。

「内弟子だった3年間、先生はレッスンなんかしないんですけど(笑)、いろんな歌手の現場を一緒に見たり、身の回りのお世話をしたりして学んでいました。その間に弟のデビューが決まって焦りはしたけれど、船村先生は“心配するな”と全部分かってくれていました」

 鳥羽一郎が弟・山川豊のデビューを心から喜んでいた証拠がある。山川がある新人賞を受賞して名前を呼ばれた際、鳥羽は警備員が止めるのを振り切って客席からステージに上り、山川と抱き合ったのだ。その映像は、鳥羽一郎のデビュー前のハプニング映像として頻繁にテレビに流れている。

「あの映像が流れるたび、本当に恥ずかしくなります(苦笑)。今だったら、大変なことになるんじゃないかな。日本武道館だから、ものすごい数の警備員がいたと思うんだけど、もうあまりに嬉しくて飛び込んでいったんですよ。でも、後で船村先生に“バカ野郎!”って叱られました」

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