幼き日の極貧生活、恩人との確執、突然の離婚…「森進一」波乱万丈すぎる人生を支えた「おふくろの教え」

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さん。これまでの取材データから、俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第41回は、歌手の森進一さん。波乱万丈な人生を送ってきた森さんの意外なエピソードを明かします。(前後編の前編)

騒動の渦中に連載スタート

「青天の霹靂」とは、こういうことをいうのだろうか。歌手・森進一(77)の「おふくろさん騒動」がまさにそうだった。

 プライベートな話など、なかなか聞くことはできないだろうとは承知の上で、森の親しい関係者を通じて、連載のお願いをしていた。予想通り、OKはもらえない。ところが、半ば諦めていた2、3年後、GOサインが出た。それが07年のことで、「おふくろさん騒動」とピタッと時期が重なったのだ。一体、どんな巡り合わせだったのかと、今から考えても不思議でならない。

 森は慎重な性格と言われているが、何度かお会いするうちに、物事をキチンと整理して、いいものとダメなものを自身で判断する人だとわかった。それまでの、実に色々なことがあり過ぎた人生の経験がそうさせているのだろう。お抱えのライターさんもいたのだが、それも話したことを寸分違わぬ内容で、正確に第三者に伝えたいから……森のそんな思いが伝わってきた。

 そんな時に突如、降って湧いたスキャンダルである。

 森の歌う「おふくろさん」の作詞は川内康範、作曲が猪俣公章。本来は歌い出しの前のメロディー、いわゆる前奏パートに歌詞はついていないが、発売から何年後かにステージ用にセリフがつけられた。そのことに気がついた川内が「森には歌ってもらいたくない」と怒って連日、ワイドショーを始めとするマスコミが大々的に取り上げる騒動になったのである。

 それがなんと、連載スタートの直前だった。川内は「月光仮面」で知られる作詞家、作家、脚本家の超大物である。森にとっては、「おふくろさん」だけでなく「花と蝶」などヒット曲を提供してくれた恩人でもあった。そんな川内に背いたとして、森はワイドショーだけでなく、ライバル夕刊紙にも容赦なくバッシングされたが、このタイミングでこちらは他社と同調するわけにはいかない。

 ところが、折も折、当時のトップから「どうして森をやらないのか」と指令も降りてきた。どうすればいいか……。

 でも、ここはスジを通すしかない。「何年も前からお願いしてきた連載を今さら断れない。バッシングもできない」とデスクに事情を説明して突っぱねてもらった。会社をやめろといわれるかもしれないと、半ば覚悟した。

 しかし、最悪の事態は回避できて、騒動の渦中に連載がスタートした。第1回では森がことの次第を説明し、川内にお詫びするために青森の自宅を訪ねたが、留守だったこと、「先生のお気持ちが変わってお会いできるようになったら、僕の思いを直接お伝えしたいと願っています」と語った。

 ちなみに、騒動は翌年に川内が亡くなり、川内の親族が記者会見し、解決するに至った。

 どうにか連載が始まったと思ってホッとしたのも束の間、2回目か3回目の掲載後に、森サイドから「連載を続けたくない」と関係者を通して電話が入る……。

 なぜ? まったく理由がわからない。

 間に立ってくれた関係者にも連絡して理由を聞いたが、要領を得ない。翌日掲載の原稿は入稿済みで、さて、どうしたものか。一難去ってまた一難。

 こちらも必死で、何度目かの関係者への電話で「これから森さんの自宅まで伺うのでそこで事情を聞きたい。こちらの落ち度なら土下座してでも謝りたい。このままなら連載もストップで、またスキャンダルになってしまいませんか」と訴えた。

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