「笑いたくても笑えない」視聴者も… 松本人志が突き付けられた「面白かったら全部チャラ」にならない現実

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

「面白ければ正義」だったテレビの黄金時代と、「情」が通じなくなった社会

「面白ければどんな人間だっていいじゃん」。それが、かつてのテレビを支えた共通認識だった。数字が取れればOK。芸があれば人格は問わない。情が支配する世界では、大手の事務所や仲間が「もうええやろ」と言えば復帰できた。泣いて笑ってチャラ。そんな温度の中で、薬物や不倫などのスキャンダルを起こした多くの芸能人が復帰し、「名場面」が生まれてきたのも事実である。

 だが令和では、視聴者がその舞台裏を知ってしまった。SNSで「被害者の声」に直接アクセスできる時代である。「面白い」と腹を抱えている誰かの笑いが、誰かの痛みの上に成り立っている可能性を、もう無視できなくなってしまったのだ。だから「面白くなければテレビじゃない」という言葉は、免罪符どころか時代遅れの言い訳として眉をひそめられる、という事態を招いてしまっている。

 松本さんは動画内で復帰を決意した背景として、「笑いさえあれば(自分の)名誉なんて、人権なんて後からついてくる」と語っていた。再び芸人として再起するストイックな覚悟の言葉にも聞こえるが、同時に「才能ある者は守られる」という古い業界構造を肯定しているようにも見える。

 令和の社会で、その発言がどんな意味を持つのか。松本さんほどの影響力を持つ人間なら、当然分かっているはずだ。だからこそ、彼の「芸」への執念は、単に芸人としての復帰がゴールとはならない。お笑いの力で、法やモラルさえも突破していけるのか、というトライアルでもある。

 一方で、同時期に千鳥・大悟さんの「酒のツマミになる話」(フジテレビ系)降板騒動も起きた。松本さんのコスプレにフジテレビが懸念を抱いたことが発端だという。同番組はもともと松本さんが顔を務めていた枠であり、大悟さんなりのリスペクトを込めたオマージュだったのだろうが、結果的にフジはその「笑い」に過敏に反応した。つまり「お笑いの現場」を守りたかった芸人と、「コンプライアンス」を守りたかったテレビ局の間に、深い溝ができてしまったのだ。この一件に対して、「フジは不義理」「テレビはもう窮屈過ぎる」といった反応もネットに溢れている。

次ページ:オールドメディアだと批判されるようになったテレビだけど……「面白ければいい」は古い、「面白くなければ見ない」は残る

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。