卒寿を迎える「常陸宮さま」…秋篠宮さまにも通じる「天皇家の次男」という宿命

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がん治療の研究

 男児に恵まれなかった天皇陛下に、結果的に助け舟を出すこととなった秋篠宮さまは、皇太子時代の天皇陛下が行った人格否定発言について、上皇陛下に事前相談がなかった点を「私としては残念に思います」と批判的に語られたことで、兄弟間の不仲を噂する声も一部であった。

 だが、朝日新聞の報道によれば、上皇陛下の生前退位に当たって秋篠宮さまは「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです」と述べられたとされ、「皇位継承の意思を否定されることで『私心はない』と強調されたのです」(同OB)

 常陸宮さまの知られざる実像について、同OBはこう語る。

「サイエンスの知見を活かされ、1969年から2001(平成13)年まで財団法人癌研究会(現・公益財団法人がん研究会)の癌研究所客員研究員として熱心に活動しておられました。また今も、がん研の名誉総裁や公益財団法人高松宮妃癌研究基金総裁をお務めです。お父さまを膵臓がんで亡くされただけに、がん治療の研究に尽力したいとのお気持ちが、人一倍強かったということではないでしょうか」

 そうした常陸宮さまの優しい人柄が窺えたのが、古希の記者会見だった。

 05年11月、常陸宮さまは70歳の誕生日を前に、常陸宮邸として使用している東京都渋谷区の常盤松御用邸で、妻(宮妃)の華子さまと一緒に記者会見に臨まれた。この席で夫婦円満の秘訣を問われた華子さまは「私が疲れるだけなので(中略)夫婦げんかはしない」と笑いを交えて明かされており、ご結婚から40年もの歳月を経ても、変わらずざっくばらんで睦まじいご夫妻の関係性が浮き彫りにされた。

 同OBは最後にこう語った。

「優しくおっとりしたご性格の宮さまと、明るく竹を割ったようなご性質の華子さまのコンビネーションの良さが際立った逸話です。お立場ゆえのご心労もあったとは思いますが、そんなことを感じさせないからこそ、常陸宮さまは多くの国民から支持されてきたのでしょう」

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

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