巨人2軍監督 「桑田退任」→「石井琢朗」電撃就任の舞台裏 選手いわく「なぜ桑田さんが責任を…」 石井氏は「本当はDeNA監督になりたい思いが」
リーグ連覇を逃した巨人のコーチ人事が話題になっている。桑田真澄2軍監督が10月下旬に宮崎で開催されたフェニックス・リーグから帰京後に球団との話し合いで、「若手の育成ができていない」と評価されてフロント入りを打診されたが固辞。今季限りで退団を決断した。そして、後任の2軍監督に就任したのが、DeNAの野手コーチを務めていた石井琢朗氏である。この人事は一体、何を意味するのか。裏側を探った。
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野球観が違う
まずは桑田2軍監督の退団について。巨人を取材するテレビ関係者は表情を曇らせる。
「選手たちの間でも話題になったそうです。20代の選手は『来年も指導してもらえると思っていました。なんで桑田さんが責任を取らされるんですか?』とびっくりしていました」
電撃退団に至る経緯を紐解くと、阿部慎之助監督と桑田氏の指導方針が大きく違うことが浮かび上がる。
「阿部監督は練習量をこなさなければ技術が身につかないという考え方で、桑田さんは理不尽な練習に対して否定的な見方でした。ただ、これはどちらが正しいとも言えない。量をある程度こなす必要がありますし、理不尽に見える練習が役立つときもある。阿部監督と桑田さんは決して険悪な仲ではありません。現役時代は一緒にプレーしていましたし、阿部監督からすれば年上の尊敬する先輩です。でも、野球観が違うのでやりづらさはあったのかなと。フロントがその状況を察知して人事異動に動いたのだと思います」(巨人を取材するスポーツ紙記者)
原前監督との関係
桑田氏は原辰徳前監督の発案で、21年1月に1軍投手チーフコーチ補佐に就任。巨人に復帰するのは15年ぶりだった。ただ、原前監督と良好な関係は続かなかったという。
「投手の起用法を巡り、原さんが起用したい投手に対して桑田さんが酷使は故障のリスクが高まると反対したことが何度かありました。こういったやり取りは他球団では珍しくないのですが、巨人のコーチ陣は原さんのイエスマンばかりだったので新鮮でした。桑田さんは23年にファームの総監督に配置転換されましたが、事実上の左遷です。でも、投手陣からは『桑田さんはおれたちを守ってくれる』と人望が厚かった」(前出のスポーツ紙記者)
原前監督が23年限りで退任し、阿部監督が就任したタイミングで桑田氏は2軍監督に就任する。阿部監督は就任1年目でリーグ優勝を飾ったが、今年は阪神の独走を許して勝率5割前後を行き来する苦しい展開に。気になったのは選手に対するコメントだ。プロ2年目の左腕・森田駿哉がファームで力をつけて、7月下旬に1軍デビューを飾り、9試合登板で3勝をマークしたが、9月18日のヤクルト戦(神宮)で制球が定まらず3回4失点KOを喫した際、「サインが見えないらしいから。ピッチコムやらしてほしいくらいだよ。あれじゃあキャッチャーが何人いても死人が出るよ」と苦言を呈した。開幕から痛打を浴びるマウンドが目立った戸郷翔征が5月13日の広島戦(マツダ)で5回4失点と試合を作れずに降板した際は、「真っすぐ、フォーク、スライダーしかないから、現代の野球だと、なかなか厳しいのかなと思う。よっぽど全部の精度が良くないと厳しいと本人と話をした」と試合後に語った。
巨人OBは、
「戸郷はエースとして投手陣を引っ張ってきた男です。期待の大きさゆえの発言かもしれませんが、シーズン中に球種を増やした方がいいとメディアに発言することになんのメリットがあるのか。森田への発言もそうです。冗談半分かもしれないが、デリカシーがなさすぎる。言い方には気をつけてほしい」
と語気を強める。
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