アナウンサー志望がなぜAKB48に? 司会応募のはずが…“最初の卒業生”が明かす運命の岐路
宇佐美友紀インタビュー
AKB48の1期生だった宇佐美友紀さん(40)。もともと、アイドルに憧れはあったが、自身がなりたかったのはアナウンサーだった。専門学校在学中にリポーターとして活動をスタートするも、番組が約1年半で終了。新たな道を模索することになる。そんな時、オーディション雑誌で見つけたのが「秋葉原」「秋元康プロデュース」の文字だった。(全5回の第2回)
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アナウンサーになりたいという夢は、小学校の頃から抱いていました。もともと、私は人見知りで、どちらかというと内気なタイプだったんです。でも、小学校の国語の授業で、先生に「宇佐美さんの朗読はすごく良いね」と褒められたんです。
自分にあまり自信がないタイプだったので、褒められること自体がすごく嬉しくて、「これが私の得意なことなんだ」と思いました。
高校を卒業すると、大学ではなく、アナウンスの専門学校に進みました。大学で4年間学ぶよりも、専門学校で2年間、集中的に学んで、すぐに社会に出て仕事をしたいという気持ちが強かったんです。
通ったのは、東京にあるアナウンスの専門学校です。アナウンス科は2クラスで、1クラス20人くらいが在籍していましたが、アナウンサーになることの厳しさを知って、辞めていく子が多かったです。
私も途中で「アナウンサーになるには普通、大学を出ていないとなれない」という現実に気づくんです。私のような「無知で、田舎から出てきたアナウンサーになりたい人」が集まっていたので、「思っていたのと違う」とあきらめた子もいたと思います。
ただ、ある時チャンスがきたんです。入学して2か月くらい経った頃、外部講師として「大橋巨泉事務所」の方が授業に来てくださる機会がありました。でも、なぜか、その日、私は休んでしまい、後日、事務所のマネージャーさんから連絡がありました。私のプロフィールを見てくださったようで、「こんなにやる気があって、専門学校に入ったのに、なぜ休んだの?」と、声をかけてくださったんです。
それがきっかけで、「9月から始まる番組のリポーターのオーディションがあるんだけど、行ってみない?」と声をかけていただきました。当時はまだ事務所に所属するという話ではなく、あくまでオーディションを受けてみないか、という打診でした。そのオーディションに合格したことで、大橋巨泉事務所に所属が決まったんです。
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