被害者に「26歳です」とウソを…09年「鳥取連続不審死」元死刑囚 “自衛隊員と幸せな結婚をした女”はなぜ死刑に至ったのか

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10代の終わりに自衛官と結婚

 美由紀は鳥取県大栄町(現・北栄町)の出身。地元の学校を卒業したのち、10代の終わり頃、大阪に出て最初の結婚生活を送る。相手は自衛官であった。親族の1人が言う。

「土木工事の会社に勤めていた美由紀ちゃんのお父さんが1993年に亡くなった際、旦那さんと子どもを連れて鳥取に帰省してきた。その時は、お母さんとお祖母さんが揃って『美由紀は自衛隊の人と幸せな結婚をした』って、自慢のように話していましたよ」

 夫との間に1男1女をもうけた美由紀だったが、ほどなく離婚、子どもを引き取って鳥取に戻ってくる。そして現在の「上田」姓の会社員男性と2度目の結婚。当時の住まいは、八頭(やず)町の県営住宅であった。近所の住民の話。

「大阪の人とは金銭トラブルで別れた、と彼女の母親から聞きました。次のご主人との間にも子どもが生まれたんですが、彼女にすぐ別の男ができて出て行ってしまった。あとに残されたご主人は、しばらく1人で住んでいました」

 その頃、美由紀はのちの「舞台」となる夜の世界へと入っていた。彼女の伯父が言う。

「11年前、私は鳥取市内で『ひよこ』というスナックを始めました。当時、美由紀は何もしていなかったので、働いてもらうことにしたのです。給料は現金日払いで、歩合制ではなく、店の1日の売上の2割と決めていた。というのも、私の妹、つまり美由紀の母親が『あんちゃん、美由紀は金遣いが荒いけえ、お金渡しちゃダメよ』と言っていたからです」

当時の副知事に借金を申し込んだ刑事

 この店には、2007年8月に水死したDさん(27)や2004年5月に轢死体となって発見される、大手新聞社鳥取支局の記者だったEさん(42)が通っていたという。

「Eさんは店を始めて間もない頃から来てくれました。店内は、入って右側に10席のカウンター、奥には6人掛けボックス席が3つ。Eさんと美由紀は仲良くボックスで隣に座っていました。私に『オーナー、美由紀のこと好きになっていいですか』と聞いてきたことがあって、『別にいいんじゃないですか』なんて答えていたのですが……」(同)

 交際が深まるにつれ、美由紀にせがまれるまま金策に走ったEさんは、ついには取材先にまで借金を申し込むようになっていた。当時の副知事で、県政担当記者だったEさんと面識のあった平井伸治・鳥取県知事が明かす。

「6年前、『相談がある』というEさんと、私の自宅でお会いしました。内容は『女性とトラブルになっている』というもので、追い詰められた様子でした。『週明けの給料日には返す』というので、3万円ほど貸しました。返済されないまま、1~2カ月後に再びアプローチがあり、用件は再度の借金だった。結局その時は会わずじまいで、轢死したこともずっと後で知ったのです」

 売り掛けのツケがかさんだこともあり「ひよこ」は閉店。職を失した美由紀はその後、市内のカラオケスナックで働き始める。ここが、美由紀と亡くなった男性たちとの邂逅の場となった。

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 第2回【「ママ、酔っ払ってごめんね」…「鳥取連続不審死」獄中死の元死刑囚、逮捕前日に古巣のスナックで見せた酒豪ぶり】では、逮捕前日にカラオケスナックを訪れた上田元死刑囚の様子、さらには2017年に死刑が確定するまでの過程を伝える。

デイリー新潮編集部

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