【べらぼう】妥協しない憎まれ者「松平定信」がついに解任された決定的な理由

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形成された反定信グループ

 定信の包囲網はどんどん狭まっていた。文武の奨励や作法の順守、質素倹約や風紀矯正といった寛政の改革は、方々で反発を買い、『べらぼう』で定信に直言した老中格の本多忠籌は、江戸で盗賊が発生したことを「義気の衰え」だと主張する定信に、正面切って反論していた。

「はじまりは義気の衰えであるが、倹約の強制や博奕の禁止など、微細にわたる厳しい統制により、人心が押さえつけられたことにもう一つの原因がある。町方が困窮し、行き詰った者が盗賊となったために騒動が拡大化したと、改革を露骨に批判して修正を求めている」(高澤憲治『人物叢書 松平定信』吉川弘文館)。

 だが、定信はまったく承服しないので、忠籌らかつての同志も含め、反定信グループが形成されていった。定信は自領の陸奥白河藩でも、自分のお膝元が天下への模範になるように文武や倹約を強く求めたので、家臣たちは、悲鳴にも似た嘆きをいくつも書き遺している。

 こうして定信の退場を望む空気がかなり醸成されたのに加えて、定信にとってかなりの痛手になった案件があった。第41回でも、その一端が描かれた。朝廷の使者として、武家伝奏(朝廷における幕府との連絡役)の正親町公明(三谷昌登)が江戸に到着し、光格天皇の実父である閑院宮典仁親王に、「太上天皇」すなわち「上皇」の尊号を贈ると報告したのだ。

「太上天皇」とは引退した天皇に授けられる尊号だが、閑院宮は天皇になったことがないので、定信は前例がないとして、すでに断っていた。ところが正親町公明は、認められるだろうという感触を、一橋治済から得たと話す。そこで定信は一橋邸を訪れ、勝手な返答をしないように釘を刺したうえで、朝廷にも尊号の宣下は認められない旨を書き送った。

光格天皇の反感は一橋治済の反感

 この朝廷との案件は史実において、定信の立場を追いつめることになった。その後、定信は朝廷に、かなり厳しく対峙した。寛政5年(1793)2月、議奏(天皇の命令を公卿以下に伝える役)の中山愛親と、前出の正親町公明を江戸に呼び出し、厳しく尋問したうえで両名を解任。そのうえ前者に閉門を、後者には逼塞を申しつけた。

 この件を通して、定信は朝廷をすっかり敵に回してしまった。また、大奥女中の最上位である上臈御年寄は公家の出身者が多かったので、結果として、大奥も敵に回すことになった。さらには、父親に太上天皇の尊号を授けたいという光格天皇の願いを却下することは、将軍家斉と一橋治済の願いを挫くことになり、彼らの反発をいっそう強めることにもつながった。

 家斉は実父の治済に「大御所」の尊号をあたえたいと願っていたが(治済もその号をもらいたいと願っていたが)、前将軍のための「大御所」の号が、将軍を経験していない人物に贈られたことはない。このため定信は、前例がないとして却下していた。

 じつは、閑院宮典仁親王に「太上天皇」の尊号を贈ることと、一橋治済に「大御所」の尊号を贈ることは、構造が共通している。閑院宮典仁親王は天皇になったことがなく、一橋治済は将軍になったことがない。

 治済は、閑院宮が太上天皇になれば、自分も大御所になれると思ったことだろう。しかし、太上天皇の尊号宣下が却下された以上、自分が大御所になる脈はかぎりなく小さくなったと自覚しただろう。その意識が、そのまま定信への反感につながっても不思議ではない。

ラクスマンが離日したタイミングで

 こうして幕閣内部では、もとは定信の同志で、その独裁への反感を募らせていた本多忠籌や松平信明のほか加納久周らが集まり、さらには大奥も加わって、反定信グループが拡大していった。そして寛政5年(1793)7月、その時が到来した。その前年、漂流民の大黒屋光太夫を連れて根室に現れ、幕府に交易を申し入れたロシアの海軍軍人ラクスマンが、7月16日に日本を離れた。それによって幕府は、海防への緊張感を少し緩めることができた。政変を断行するには絶好のタイミングの到来である。

 そこで一橋治済の同意を得て、ひとつの案が老中の評議にかけられた。それは、松平定信の独裁が将軍家斉の親政を阻害するのを防ぐため、将軍補佐と老中の両役を一挙に解任する、というものだった。このとき治済は、御三家の尾張と水戸の両家の合意を、強引に取りつけた。

 そして7月22日、将軍補佐と老中をともに解任するという将軍家斉の内意が、36歳の定信に伝えられるのである。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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