電話を切った長州力は「ドーム押さえてくれ!」と吼えた…プロレス史に輝く「伝説の10・9」が“東京ドーム開催”に決まった衝撃の舞台裏を完全再現

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「Uは東京ドームで消すね」(長州力)「キッチリ行かせて頂きます」(髙田延彦)

【午後3時12分:新日本事務所】

 記者たちのいる会議室に現れた長州は、明らかに上気した表情で大呼した。

「よーし! ひとつだけ、話しておくぞ! 髙田が『やる!』って言った! 何をやるかっていうと、リングに上がるってことだ!(試合の)日程を取らせる!」

 前出の山中営業部長が、会議室に入って来て、マスコミの前で長州に告げた。

「一番近いところで、時間的問題もありますけど、10月9日を押さえられるかなっていう……」

「それはどこだよ」

「ドームです」

「押さえちゃえ、よしっ!」

 パンと両手で机を叩くと、山中の退室を見届け、長州は言葉を紡いだ。

「(会場を取ったから)やるやらないは、もう向こうの責任だ……。もうアイツらはおしまいだぞ。絶対潰してやるからな!」

 再び山中が入室し、告げる。

「押さえました」

「10日は?」(*当時の10月10日は、体育の日で、国民の祝日だった)

「10日は野球が……」

「ウチは? 9日は?」

「何もないです」

「(記者たちに)Uのスケジュール、発表してる?」

 記者の1人が答える。

「10月11日に大阪、28日、代々木(第一体育館)です」

「9日は空いてるな、二言はないだろ」

 長州はそう、安心したように言った。あまりに突然の展開にあっけに取られていた報道陣から、息せき切ったかのように、質問が続出した。長州は、立て板に水のように答えた。

「個人戦だぞ、向こうの選手、全部出す。ウチも全部出す。合わせてやるから。(全面対抗戦? と訊かれて)ああ。相手がどうので試合ができないとは絶対言わせない。Uは東京ドームで消すね。うん、消しちゃうよ。

 ウチは誰とやっても取りこぼすことはないよ。全責任を持って、俺が事に当たらせてもらう! 全部シングルで行く!!」

 午後3時20分、会議室を出た長州は、山中営業部長と打ち合わせを済ませ。3時29分、エレベーターに乗り込み、事務所を後にした。

【午後3時22分】

 長州の発言の大要を柴田記者が成田記者に託す形で、Uインター側に伝える。髙田と安生と鈴木健は別室で話し込む。髙田が扉を開け、「俺のスケジュール、持って来て!」と事務員に指示するシーンも。3時29分、3人揃って別室を出ると、会見を開始し、高田が口を開いた。

「聞きました、今? 10月9日を全面対抗戦でということなんですけど、言った以上は責任持てるのかな? って。フタを開けてみたら長州しかいないってことはないのかな? 本気でやる気があるんだったら、(こっちも)行きますよ。

 交流戦じゃないからね! こうなったら、団体の潰し合いになって来るから。言った以上は、(新日本は)ちゃんと責任持ってやってくれよ、ということです。こっちはもう、戦闘準備OKだから。僕らにとってみれば、ある部分は“待ってました!”ってトコありましたんでね。キッチリ行かせて頂きます! 以上です」

 この日、大阪大会のプロモーションの用事が入っていた髙田は、予定された時刻からは大幅に遅れ、午後3時41分に事務所を退出。後を受けた鈴木が、新日本のフロントと早急に話し合うことを言明し、午後3時48分、インター側の会見も終了した。〉

急転直下の裏側で…

 同書ではさらに、この「緊急電話」の舞台裏であった、様々な当事者たちのドラマを克明に描写している。特に、この対抗戦を仕切った当時の新日本プロレス渉外担当兼企画宣伝部長・永島勝司氏の生証言は非常に興味深い。また、文中に出てくる報道関係者も、今だから明かせる“秘話”を語っている。

 世紀の団体対抗戦のウラで起こっていた衝撃の真実――30年たっても決して色あせることのない、貴重な記録である。

デイリー新潮編集部

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