巨人退団 桑田真澄氏が最後まで相容れなかった阿部監督の「昭和式スポ根野球」 「フロントは最後の年を阿部さんの好きにやらせたかったのだろう」
巨人ファンが騒然としている。最も”敗戦”の責任を負うべき監督が続投する中、二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチ、駒田徳広3軍監督に続き、将来の監督候補と目されてきた桑田真澄2軍監督までもが退団したからである。いったい何が起きているのかーー。
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選手の起用をめぐり対立していた
「桑田さんは僕が選手時代から育てていただいた人なので、今回離れるということはとても残念です。2軍で優勝したりとか、すごく貢献していただいたので感謝の気持ちで今はいっぱいですね」
10月29日、阿部慎之助監督は桑田氏の退団を受けてこうコメントした。桑田氏へのリスペクトと感謝を示した言葉だが、選手や職員、番記者らは一様に「社交辞令」と捉えているという。
「空々しく聞こえたという人もいます。桑田さんの退団の発端は阿部さんとの対立にあることはみんな知っていますから」(球団関係者)
2人は選手の起用をめぐって度々ぶつかってきたというのだ。
「例えば、一昨年ドラ1で中大から入団した西舘勇陽投手の起用などをめぐってです。今季は投手陣が崩壊するたび、阿部さんはすぐに2軍から上げるよう要求してきたが、桑田さんが『まだ調整中だから待ってほしい』と意見。慢性的に人材が欠けていたから、このような対立が度々起きていたのです」(同)
「地獄の秋にする」と宣言した阿部氏
どちらが悪いとは「一概に言えない」と続ける。
「目の前の勝ちを取りに行かねばならない立場の阿部さんとしては、悠長なことは言っていられない。実際、桑田さんにも融通の効かないところもあった。ただ桑田さんからすれば明日のことも大事だが、半年先、1年先を考えて育成には必要という考え方」(同)
詰まるところ、2人は野球に対する考え方が根本から違うのだ。
阿部氏は2軍監督時代から、昭和のスポ根漫画に出てくるような厳しい練習を取り入れていたことで知られる。2020年3月、プロ・アマ交流戦に早稲田大に6対9で敗れ、試合後に全選手に両翼のポール間を走る罰走を課したことは有名な話である。
「散々“今時のやり方ではない”と批判を浴びてきましたが、阿部さんの考え方は今も変わっていません。先日も秋季キャンプインする際、『地獄の秋にする』と宣言。投手には徹底した走り込みや投げ込み、野手にはバットの振り込みや1000本ノックのような『特守』という鬼メニューを課すとしています」(同)
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