「野田聖子」はなぜ「日本初の女性首相」になれなかったのか? “同期”の「高市早苗」に追い抜かれた決定的な理由

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後ろ盾のなさと夫の問題

「若い頃は“野田聖子を守る会”みたいなものもあってバックアップした人もいるんです。しかし、復党後は無派閥となったので組織的な支援が得られなかった。それで総裁選にも1回しか出られなかったし、徐々に存在感を薄めていったのだと思います。しかも、旦那さんの問題もありますからね」(伊藤氏)

週刊新潮」が野田氏の夫を元反社会的勢力の一員と報じたのは18年8月2日号だった。野田氏はこれを否定して提訴したが、裁判所は「真実である」と認定してしまった。

「これでは時の首相も彼女を入閣させることに躊躇するでしょう。実際、『旦那がアレでは入閣は無理だよね』と口さがない声もありましたし、閣僚にならなければ存在感は低下します。野田さん本人の問題ではないし、致命傷とまでは言えないまでも、やはり影響は大きいと言わざるを得ません。もちろん、彼女を政治家として評価する人は結構いるんです。リベラルとまでは言わないまでも、夫婦別姓にも積極的ですし、偏った考えではありませんからね。ただ、それが今の自民党の主流派とは言いがたい」(伊藤氏)

 それが「自民党のトップみたいな人たち」といった発言につながるのかもしれない。今後、彼女はどうしたらいいのだろう。

「今後も難しいでしょうね。そうかといって自民党から飛び出すわけにもいかないでしょう。そのうち知事選にでも挑戦するかもしれませんね。ただ、その時もご主人の問題を指摘する声が出てくるでしょう……」(伊藤氏)

デイリー新潮編集部

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