ロッテ「益田直也」がロッカールームで暴れて骨折…“八つ当たり行為”で負傷した自業自得な男たち

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 通算250セーブまであと「2」に迫っていたロッテの守護神・益田直也は8月に上半身のコンディション不良を理由に登録抹消され、残りシーズンを棒に振った。その後、9月下旬に、度重なる救援失敗の腹いせから、ロッカールームで暴れて左手を骨折していたことが判明した。一時的な怒りで感情を爆発させたことで、今季中に実現するはずだった名球会入りをフイにしたわけだが、過去にも自制心を失った八つ当たり行為で、自業自得とも言うべき負傷に泣いた男たちは少なくない。【久保田龍雄/ライター】

あの時短気を起こさなければ…

 まず、バットに八つ当たりして本塁打王を逃したのは、1989年に来日した阪神の助っ人・フィルダーだ。

 フィルダーは9月13日までに38本塁打を記録し、2位のヤクルト・パリッシュに3本差をつけ、リーグトップだった。

 ところが、翌14日の巨人戦で3回に空振り三振に倒れたことが、運命を暗転させる。

 直後、フィルダーは悔しさのあまり、バットを地面に叩きつけたが、跳ね返ってきたバットが右手小指の付け根を直撃。右第5中手骨骨折で全治1ヵ月と診断され、残り24試合すべてを棒に振ることになった。

“本命”の突然のリタイアで漁夫の利を得たのは、パリッシュだった。この日も広島戦で36号ソロを放って2本差に迫ると、シーズン終了までに42本塁打を記録し、逆転で本塁打王に輝いた。

 これまで2.8試合に1本の割合で本塁打を量産していたフィルダーだけに、残り24試合で4本以上は打てたはず。「あの時短気を起こさなければ…」と悔やむ結果となった。

 クーラーボックスに八つ当たりして、パ・リーグのシーズン最多セーブ記録を逃してしまったのは、西武時代の豊田清だ。

 2003年9月24日のロッテ戦、この日まで38セーブを記録していた豊田は、1点リードの9回からマウンドへ。

 ショートを右飛、サブローを三振に打ち取って、たちまち2死。あと1人を抑えれば、前年に自ら記録した38セーブを更新し、当時のパ・リーグ新記録となる39セーブ目を手にするところまで来た。

 ところが、里崎智也をカウント2-2から空振り三振に打ち取ったにもかかわらず、ワンバウンドしたボールを捕手・細川亨が後逸したため、振り逃げを許してしまう。

 そして、次打者・初芝清の左翼線二塁打で同点……。振り逃げをきっかけに、ほぼ手中にしていたセーブがフイになるという皮肉な結果に、豊田は怒りを抑えることができない。

 利き手の右手でベンチに設置されたクーラーボックスを殴打し、裂傷を負った結果、残り6試合の出場は不可能となり、セーブ記録更新も幻に。怒りの代償は大きかった。

利き手はやめろ!

 豊田同様、利き手でベンチのイスを殴ったことが災いし、シーズンの大半を棒に振ってしまったのが、ダイエー時代の杉内俊哉だ。

 2004年6月1日のロッテ戦、福浦和也に満塁弾を浴びるなど、2回までに7点を失った杉内は、悔しさをあらわにしてベンチに戻ると、イスに向かって帽子とグラブを叩きつけた。怒りは収まらず、右拳で椅子を殴り始め、続けて利き手の左拳まで振り上げた。

 捕手・城島健司が「利き手はやめろ!」と制止するのもむなしく、杉内は左拳をイスに向かって振り下ろした。

 その後、自軍の攻撃中に両手が赤く腫れ上がったため、福岡市内の病院に急行したところ、両手小指の付け根を骨折しており、全治3カ月で、シーズン中の復帰は絶望となった。

 自業自得とも言うべき負傷離脱に、王貞治監督も「悔しさは誰でもある。だが、何のために選手としてやっているのか。絶対にやってはいけないことだ」と激怒し、球団も謹慎10日、罰金100万円のペナルティを科した(後に600万円に増額)。

 西武とのプレーオフ第2ステージで中継ぎとして実戦復帰を果たした杉内だったが、前年10勝を挙げた左腕が先発できないハンデは大きく、シーズン2位の西武に2勝3敗で敗れ、日本シリーズ進出を逃している。

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