「一生、漫才頼むで」…「オール巨人」が“目標”に掲げるレジェンド漫才師とは「普通のおっちゃんなのに、しゃべりだしたら物凄くおもしろい」
舞台に立ち続けて……
さんまについては「チャランポランに見えてもやることはやってた」と、一時期同じマンションの上下に住んでいた阪神が言うと、巨人は「どの番組で何をしゃべったのかをビシッとノートに書いてた。人には絶対見せへんかったけど」と語った。
ダウンタウンは吉本興業が作った芸人養成所NSCの1期生だが、巨人は講師として呼ばれた。その時にズバ抜けて目立っていたのがダウンタウンで、「物事を見る目線や切り方、とにかく何もかも普通の人と違っていた」そうだ。“風紀委員長”として気になったのが挨拶で、「あの頃は2人とも挨拶をようせえへんかった」ので、「ちゃんと立ち止まって挨拶せい」と注意した。
80年代の怒涛のような漫才ブーム以降、阪神・巨人はやす・きよを始めとする漫才コンビに置き去りにされた印象もあるが、実情は異なる。
その当時、すでに2人は売れているから、わざわざ東京に行かなくてもいい、「お前らがおらんかったら、誰が大阪の舞台に出るんや」と言われ、一日中、なんば、うめだ、京都の各劇場に出ずっぱりだった。
東京の仕事が入って劇場に出られなくなったコンビの代演や助っ人でも大忙し。ブームの4年前後はまったく休みがなかったという。
こんな具合に2人を大阪に“閉じ込めよう”とした真相が面白い。紳助・竜助の担当者が阪神・巨人をライバルと考え、2人を大阪で働かせて疲弊させ、潰そうと思ったらしい。ところが、場数を踏んだことで逆に力をつけ、他が脱落し、気がついたら、皮肉にも残っていたのが阪神・巨人だったというのがオチ。
NHKの番組で一緒になった際、夢路いとし・喜味こいし師匠に芸についていろんな質問をしたが、すべて即答だったという。
「漫才とコントの差は何か」と訊くと「小道具を使ったその時点でコントや」。
「舞台のトリにはどういう立場の人が出るのか」には「今この時代で、この人が出て最後やなとお客さんが思う人」と返ってきた。
その後、めったにサインを書くことがなかった、いと・こい師匠からサインをもらった。そこに書いてあったのは「一生、漫才頼むで」の短い言葉。阪神・巨人は漫才界を託せるコンビとして見込まれたことの証しだ。
「普通のおっちゃんなのに、しゃべりだしたら……」
巨人は目標とする漫才コンビとしていと・こい師匠を上げ、こう語った。
「僕らとは形も技術も違うけど、普通のおっちゃんなのに、しゃべりだしたら物凄くおもしろい色を出して笑いを取る。あんなんやれたらいいですよね」
「漫才論」では中堅の吉本芸人からサンドウィッチマン、かつて弟子だった有吉弘行まで分析が及ぶ。9年やったM-1の審査では「練習量の違いも見えてきます」と言い、そして「たまに思うのですが、準決勝を審査してみたい」と語る。
漫才のプロ、職人、レジェンドが言うことはやっぱり一味違う。
余談だが、そんな巨人が夕刊紙の連載をどうして受けてくれたのか。実はその前に吉本興業の当時の社長、大﨑洋氏(72)に長い連載をやっていただいた。そんなよしみもあったのかなと思う。





