「女優なのに自己顕示欲が弱い」と伴侶が称した「八千草薫」 死去した7年前、容体急変の直前に遺した言葉とは

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八千草さんが送った最期の日々

 大輪のバラのように咲き誇り、近寄りがたいオーラを発する女優もいれば、野に咲く花のように可憐で、年を重ねるごとに愛らしさが増す女優もいる。2019年10月24日に88歳で死去した八千草薫さんは、間違いなく後者のタイプだろう。

 八千草さんは1931年大阪生まれ。宝塚音楽学校から34期生として宝塚歌劇団に入団し、清純派の娘役として人気を博した。在団中から外部の映画やドラマに出演し、退団後も人気女優として活躍した“生粋の芸能人”である。

 だが、1957年に結婚した映画監督の谷口千吉氏は「女優なのに自己顕示欲が弱い」と称していた。観客が抱いていたイメージと実像に、あまり違いはなかったようだ。そんな八千草さんが送った最期の日々と言葉を、長年の付き合いだったマネージャーが語る。

(以下、「週刊新潮」2019年11月7日号「“変わらないわね”と遺して八千草薫 不変の女優魂」を再編集しました)

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倉本聰氏の願いに「がんばるしかないわね」

「じつは(2019年)10月29日は谷口千吉先生の十三回忌で、法要に向けて準備を進めていたところでした。“お前、こっちに来いよ”って呼ばれたのかもしれません」

 そう語るのは、同年10月24日に88歳で他界した女優、八千草薫さんのマネージャーをつとめた原田純一氏だ。八千草さんは夫だった映画監督、谷口さんの回忌法要に合わせるようにして世を去ったというのである。

 八千草さんは同年2月、がん闘病中であることを公表した。いわく、昨(2018)年1月に膵臓がんの全摘手術を受けるも、年が明けて転移が判明。今後は治療に専念する、と。

 しかしそれでも、(2019年)4月に始まったドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」’テレビ朝日系)には、脚本家の倉本聰氏のたっての願いで、ごく短時間ながら出演を果たした。そのとき八千草さんは倉本氏の熱意に打たれ、

「がんばるしかないわね」

 と、嬉しそうに漏らしたという。

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