優勝したのにファンは興ざめ…日本シリーズで“4タテ”を食らった「情けない球団」

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 日本シリーズのチケットがなかなか手に入らず、ようやく第6戦のチケットを入手したと思ったら、第5戦で決着という皮肉な結果に泣いたファンもいるはずだ。そして、過去には、最短の4試合で終わったシリーズもあった。平成以降の4タテ決着を振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

松坂に始まり、松坂に終わった

 2年連続日本一を狙った巨人が、西武にまさかの4タテを食ったのが、1990年だ。

 史上最速の9月8日(当時)にリーグ優勝決定とぶっちぎりVをはたした巨人だったが、日本シリーズでは、“西武の壁”に跳ね返されてしまう。

 第1戦で槙原寛己が初回にデストラーデに先制3ランを浴び、0対5で完敗。これがケチのつき始めだった。

 第2戦も、エース・斎藤雅樹が3回途中7失点の乱調で、5対9と連敗。桑田真澄を立てた第3戦も、0対7と完敗し、あとがなくなった。

 そして、村田真一のソロなどで2点を先行した第4戦も、5回に清原和博、デストラーデの連続タイムリーなどで大量6点を奪われ、悪夢の4連敗でV2を逃した。

 球団では1959年の南海戦以来の屈辱を味わった藤田元司監督は「すべて監督がヘボだから負けました」とうなだれ、主力の一人・岡崎郁も「私の野球観が変わった」の名言を残している。

 一方、前年のV逸直後、堤義明オーナーから「来年も監督をやりたいんなら、どうぞおやりなさい」と屈辱的な言葉を浴びせられたことをバネに、2年ぶりに日本一を奪回した西武・森祇晶監督は「全員が素晴らしい集中力を発揮した。参加しただけの選手は1人もいなかった」と全員野球の勝利を強調した。

 それから12年後の2002年、今度は巨人が“4タテ返し”で宿敵・西武にリベンジを果たす。

 第1戦では、清水隆行と清原が松坂大輔から2ラン2本を放ち、上原浩治が12奪三振1失点の力投で4対1と快勝した。第2戦も1点リードの3回に10人の打者による猛攻で6点を奪い、試合を決めた。

 さらに第3戦も清原、二岡智宏、高橋由伸の3発などで10対2と大勝し、早くも王手をかけた。

 そして、巨人・高橋尚成、西武・西口文也の両先発で始まった第4戦は、5回を終わって2対2の好ゲームになった。

 だが、西武は、6回から好投の西口に代えて中3日の松坂をリリーフに送る強引な継投策が裏目に出る。松坂は後藤孝志に2点タイムリー三塁打を浴びるなど決定的な3点を失い、勝負あり。

 就任1年目で日本一を実現した原辰徳監督は「(12年前の屈辱は)記憶に鮮明に残っている。何とかして勝ちたいと、強い精神力で臨めた」と振り返り、西武・伊原春樹監督は「松坂に始まり、松坂に終わったシリーズだった」と唇を噛んだ。

全力を尽くすのみと向かっていった

 シーズンの全日程終了後、半月以上も待たされたことが影響し、ロッテにストレート負けしたのが、2005年の阪神だ。

 ウイリアムス、藤川球児、久保田智之の最強リリーフ陣“JFK”を擁し、2年ぶりのリーグVをはたした。しかし、パ・リーグのプレーオフ期間中、実戦から遠ざかったことが打線に深刻な影響を及ぼす。

 第1戦ではシリーズ史上初の7回濃霧コールドゲームの割りを食い、1対10と大敗。岡田彰布監督は「打者は1本出たら違ってくる。最後まで試合をやって、もう1回打席に立たせてやりたかった」と残念がった。これで流れは一気にロッテへ。
 
 第2戦も0対10と完敗した阪神は、甲子園に舞台を移した第3戦も、打線が実戦の勘を取り戻せないまま、1対10と大敗した。1度もリードを奪えない展開では、自慢のJFKも機能しようがない。

 そして、3連敗と追い詰められた第4戦も、李承燁の先制2ランなどで3点を先行され、6回に今岡誠、桧山進次郎の連続タイムリーで2点を返すも、反撃もここまで。まさかの4タテに、岡田監督も「シーズンでは、先発が5回まである程度頑張っているうちに3、4点取ってという形やったろ。(1度も)そうならんかったもんな」となす術がなかった。

 一方、ロッテは「(投打ともに)全力を尽くすのみと向かっていった。選手は自分の心を前面に出して、勝利を掴んでくれた」というバレンタイン監督の理想どおりの試合運びで、31年ぶり日本一の座に就いた。

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