「女優のイメージを墓場まで背負って去った完璧な人」──命日に読み返す、作家・五木寛之の記憶に残る“名俳優からの手紙”

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 10月24日、女優・八千草薫さん(1931~2019年)の命日を迎える。

 宝塚歌劇団出身で、映画やテレビで活躍し、世代を超えて愛されたその人の姿は今も多くの人々の記憶に残っている。

 凛とした佇まいで人々の心に深く刻まれ、女優としてのイメージを貫いた八千草さん。作家・五木寛之さん(93)も、亡き八千草さんから届いた手紙の一行が、今も忘れがたいという。そこにつづられていたのは、変わりゆく日本の気候と、静かに失われていく“日本らしさ”への予感だった。著書『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)から一部を抜粋・紹介する。

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八千草薫さんからの手紙

 手紙類を整理していたら、昨年(2018年)いただいた八千草薫さんの封筒が出てきた。

 読み返してみて、ここに挙げた何気ない1行にひどく心を打たれた。

 台風19号(編集部註:2019年)だけでなく、この数年、思いがけない雨の被害が続いている。この国の天候がどうかしてしまったのではないか、と思わせる気象の変化である。

 しとしとと降り続く静かな雨ではない。熱帯地方のスコールを思わせる集中豪雨がゲリラ的におそってくるようになった。庭木を賞(め)でることを楽しみにしている、とおっしゃっておられた八千草さんにとっては、最近の雨は異国の現象のように感じられたのではあるまいか。

 八千草さんには、私の原作のドラマで何度も大事な役を演じていただいた。故・芦田伸介が扮(ふん)する音楽ディレクターが通う函館の小さな酒場、「こぶし」の女主人の役である。「旅の終りに」という古風な演歌の一節に、私はこんな歌詞を書いたことがあった。

旅の終りにみつけた夢は

北の港のちいさな酒場

暗い灯影(ほかげ)に肩寄せあって

歌う故郷の子守唄

 それは八千草さんの演じる女主人が、ひっそりと誰を待つでなく存在する架空の酒場のイメージだった。そしてその役は八千草さん以外には考えようがなかった。

女優・八千草薫を生き抜いた希有な存在

 女優さんに限らず、政治家でも作家でもそうだが、メディアを通して私たちが思い描くイメージと、現実の人物とでは大きな落差があるものだ。

 世界のトップテナー、パヴァロッティに会ったときもそうだった。これがあの大劇場の舞台を狭く感じさせる世紀のスターかと意外に思ったものだった。

 しかし、はじめてお会いしたときの八千草さんは、私たちが思い描く八千草薫そのものだった。そして頂いた手紙の文字も、文章も、完璧に八千草薫以外の何者でもなかった。

 あれも、これも、演じていたのだろうか? 人の知らない八千草薫の姿が、どこかに隠されているのだろうか?

 私はそうは思わない。いや、思いたくないのだろう。女優さんなら墓場の下までそのイメージを背負って去るべきである。そして八千草薫という人は、それを守り抜いて世を去った希有(けう)な存在だった。

 その手紙の一節に彼女が書いていた言葉が、最近しきりに思いおこされる。

「日本らしい雨」とはなんだろう。彼女が予感したのは、天候のことだけではなかったのではあるまいか。

 この国の人びとの営みや、人間模様が「日本らしい」気配を失いつつあることへのため息をそこに感じるのは私だけだろうか。

 彼女の死と共に、何か大事なものが失われたような気がしてならない。

※本記事は、五木寛之『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)を一部抜粋したものです。

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