「大女優のオーラがすご過ぎて…」ベストセラー作家・五木寛之も「小学生のようにモジモジするしかなかった」した伝説の女優とは?
昭和100年の節目からか、昭和を彩った女優たちを振り返るニュースをたびたび目にする。中でも演技力に定評がある名優として名が挙げられる一人に、文学座の杉村春子さん(1906~1997年)がいる。
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杉村さんにたった一度だけ会ったことがあるという作家・五木寛之さんは、彼女から何気なくかけられた一言が今も忘れられないという。五木さんの著書『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)から一部を抜粋して紹介する。
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たった一度だけの杉村さんとの出会い
名優、という言葉ですぐに頭に浮かぶのは、私の場合はまず故・杉村春子さんである。
新劇という枠を超えて、俳優としての存在感の持主といえば、この人をおいて外にはまず考えられない。
偉大な俳優というのは、舞台の上だけでなく日常的などの場面でも大きな実在感を示すものだ。私はたった一度だけ杉村さんとお会いしたことがあるが、そのときの声のトーンから、言葉の切れはしまで忘れることができない。
あれはたぶん、なにかの舞台が上演されたときのロビーの片隅での会話だったと思う。
「五木さん!」
と、声をかけてくれた婦人が、杉村春子さんであることを、私は一瞬、気づかなかった。
舞台の上であれほど大きな存在感を示す杉村さんが、意外に普通の中年婦人にみえたからである。
しかし、杉村春子という個性の発するオーラの前に、私は小学生のようにもじもじしながら、ハイ、とか、イイエ、とか答えるしかなかった。
開幕のベルが鳴ったとき、彼女は「それじゃ」とうなずいて立ち去ろうとしたが、一瞬ふりむいて、私に言った。
「あなた、トモコと仲良しなんだって?」
「え?」
いきなりの言葉にどう答えていいやらわからずに、私はすぐに反応することができず、ただ突ったっていると、杉村さんは身をひるがえして、たちまち姿を消してしまった。
奈良岡さんとの50年ちかいつき合い
トモコ、というのが民藝の奈良岡朋子さんのことだと気づいたのは、一瞬たってのちのことだった。
奈良岡さんは、私にとって女友達というよりも、先輩といったほうがいい存在だった。1年に1度か2度、お会いするたびに私に議論を吹っかけてくる怖い人だった。
「わたしのほうが先輩なんですからね」
と、彼女はふたこと目にはそう言う。
たしかにちょっと年上ではあったが、まるで少女のように軽やかな人だった。
奈良岡さんのルーツは青森である。東京で育ったチャキチャキの都会っ子だが、見事な方言を身につけていた。奈良岡さんが地元の言葉で詩を朗読すると、歌のようにきこえるのだった。
「五木さんって、ダメな人ね」
と、いうのが彼女の口ぐせだった。
奈良岡さんは自分でフォルクスワーゲンを運転していた。私はできるだけ同乗しないようにつとめていた。知的な外見とは裏腹に、激烈といっていいような勇敢な運転をする人だったからである。
50年ちかいおつき合いのなかで、彼女に教えられたことは数多くある。その意味では、たしかに先輩といっていい存在だった。
杉村春子さんが、そのときどんな含意で私に問いかけられたのかは、今もわからないままだ。
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杉村春子
広島県生まれ。声楽家を目指して東京音楽学校を受験するも2度失敗。築地小劇場の広島公演を見て、1927年、研究生となる。37年、文学座の結成に参加。舞台以外にも映画、テレビと幅広い分野で活躍した。森光子、高峰秀子、山田五十鈴、勝新太郎など名だたる名優たちへ影響を与えた。
※本記事は、五木寛之『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)を一部抜粋したものです。