「門の前でキスしてから塾に」 高市早苗氏の“型破り”過ぎる松下政経塾時代 「バイクにツナギ姿で1次面接に現れ、しかも遅刻していた」

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「門の前でキスしてから塾に」

 そんな彼女の人生は、大学卒業後、84年に5期生として松下政経塾に入塾したことで大きく動き出す。

「彼女は入塾試験を受ける時、彼氏とバイクに乗ってやって来た。門の前でキスしてから塾に乗り込むところを守衛さんが監視カメラで見ていた、といった話は塾内でも知れ渡っていました」(3期生の仙頭寿顕氏)

「高市さんはバイクにツナギ姿で1次面接に現れ、しかも時間に遅れたそうです。そのため面接を担当した政経塾の先輩塾生と職員のうち、一人はバツをつけたのですが、もう一人が『ああいう元気なお姉ちゃんがいた方が男性塾生の刺激になっていい』とマルをつけたのです」(『松下政経塾とは何か』=新潮新書=の著者でジャーナリストの出井康博氏)

 当初は真剣に政治家を志しているとは言い難かった彼女の中に〈日本の政治を正さねばならない〉との意識が芽生えたのは、入塾して1年が過ぎた頃。そして、

〈一九九一年の統一選挙に、奈良一区から出馬します〉

 他の塾生の前でそう宣言したというのである。

「私は国会議員を目指しているのであり、県議選には出ません」

「私が高市氏に初めて会ったのは、86年ごろのことだったと思います」

 と話すのは、奈良県選出の奥野誠亮元法相の秘書を務めていた石崎茂生氏だ。

「ある日、衆議院第2議員会館に、地元関係者の紹介で奥野先生に面会を求めてやって来ました。用件は『松下政経塾を間もなく卒業する。政治家を志望しているので修業させてほしい』とのこと。笑顔を振りまき、強烈な印象だったのでその時の様子はよく覚えています」(同)

 女性秘書と石崎氏は“高市氏にうちの事務所に入られたりしたら大変だな”と感じたという。高市氏に対して奥野元法相は、

「『修業するなら政治の現場を経験した方がいいと思うよ』と言いました。そして政治的には立場を異にしていた人だったけれども自民党奈良県連会長の浅川清県議会議長(肩書いずれも当時)に連絡し、『次の県議選の候補者にできないか』と要請、高市氏には浅川氏を訪ねるよう伝えたのです。確か高市氏は『少し考えさせてください』と言って帰ったと記憶しています」(同)

 それから日を置かず、

「高市氏は『私は国会議員を目指しているのであり、県議選には出ません』と回答してきました。私たちは気が付いていませんでしたが、県議選を固辞したものの、それから浅川氏とは深い信頼関係を構築していたようです」(同)

 浅川氏は71年から奈良県議、81年から93年まで奈良県議会議長を務めた「奈良県政のドン」である。“表”だけではなく“裏”にも顔が利く人物で、

「91年には、当時、山口組若頭補佐で奈良を本拠地としていた倉本組の倉本広文組長が発起人になっている政治団体のゴルフコンペに『浅川清・自民党奈良県連会長』名のトロフィーを出していたことが新聞報道で明らかになっています。浅川氏はその団体の会食に出席するなど組長らと交際を続けてきたことを認めていました」(奈良県政関係者)

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