“伝承する責任”を背負って… 寄席紙切り「林家二楽さん」が芸を極めた理由【追悼】
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は9月27日に亡くなった林家二楽(にらく)さんを取り上げる。
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日本に数人だけ
寄席の魅力は落語だけではない。「紙切り」は噺(はなし)の合間の彩りとして演じられる芸の一つだ。
客席に注文を問いかけ、それに応じて一枚の白い紙にハサミを入れていく。動物、お祭り、話題の人物など求めは予測がつかない。下書きなどない即興で、わずか1~2分のうちに巧みに切り抜いた紙を黒い台紙の上に載せて披露。客席は驚きと感動に包まれた。
落語評論家の広瀬和生さんは言う。
「演目を演者自身が決められない大変難しい芸。一瞬で絵と構図を考えて切る技術に加え、紙を切る間、お客を退屈させない話術も要る。注文を断らないため流行やニュースの理解は欠かせず、頓知を利かせてハッとさせる工夫も求められます」
この“紙技”ならぬ神業を成す寄席紙切り芸人は日本に数人しかいない。その代表格が林家二楽さんだ。
紙切りより落語
1967年生まれ。本名は山崎義金。父は落語家を志したが埼玉の春日部訛りが抜けず、初代林家正楽の下で紙切りに転向、二代目林家正楽として大成した。
二楽さんより6歳年上の兄で落語家の三代目桂小南さんは振り返る。
「親父は私が小学校に入った頃から跡継ぎにと紙切りを教え出した。弟はその様子を見て仲間に入りたがり、まねを始めました」
だが、兄は紙切りより落語に興味が移った。一方の二楽さんは音楽に熱中し、アマチュアのパンクバンドでベーシストを務めていた。
「曲の合間に紙切りをしたところ、演奏よりすごいと褒められ複雑な思いになったと笑っていた」(小南さん)
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