“伝承する責任”を背負って… 寄席紙切り「林家二楽さん」が芸を極めた理由【追悼】

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父に弟子入り

 紙切りも心に響くと納得し、89年、父に弟子入り。

「弟が芸を継ぎ師匠の恩に報いられると親父は喜んだ。私より弟の方がセンスが良い。切り上がったものを折ってかぶと虫など立体的な作品に仕上げるのは弟独自の発案です」(小南さん)

 父にはすでに弟子がいた。二楽さん誕生以前の66年に入門した、後の三代目林家正楽である。二楽さんにとって19歳年上の兄弟子だ。

 馬や象といった動物を手始めに1作品を100回は切って基本を体得。血豆ができては裂けたという。

「落語を演じる私に合わせ、紙切りの絵を投影機で映すなど弟は90年代半ばから紙切りと落語を融合させる試みを始めた。でも自分が目立つ気はない」(小南さん)

 98年、二代目正楽は62歳で急逝。当然、兄弟子が三代目を継いだ。

伝承する責任

 アメリカの大学での日本語教育のため、請われて毎年のように渡米し紙切りを披露。日本でも寄席に興味を持つ子どもが増えてほしいと地道に各地を訪ねた。

 昨年1月、三代目林家正楽が76歳で他界。

 作家で演芸に造詣が深い吉川潮さんは言う。

「二楽さんに取材すると、兄弟子が亡くなり、紙切りを伝承する責任が課せられていると明言した。控えめながら覚悟を感じた」

 98年生まれの長男も林家八楽として紙切りで活躍を始めている。

「昨年も学校巡回公演に兄弟で参加した。病気が見つかると周囲に心配をかけまいとしていた」(小南さん)

 8月半ばまで寄席に出演したが、9月27日、尿管がんのため58歳で逝去。

「三代目正楽に続き、紙切りの至宝を失ってしまった。この先20年は二楽さんが支えてくれると確信していた。二楽さんの芸は場を華やかに盛り上げながらもさっぱりしている。お客が次の落語を聴く環境を整える役割も果たしていた。彩りの芸どころか落語家にとっていなければ困るかけがえのない存在でした」(吉川さん)

 風情があるものを紙切りで残したいと語りつつ、切りやすい特徴のある総理大臣に長くやってほしいですね、とニコニコ話すとぼけた味わいも魅力だった。

週刊新潮 2025年10月23日号掲載

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