【特別読物】「救うこと、救われること」(10) 角幡唯介さん

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 角幡唯介さんは探検家だ。チベットのツアンポー峡谷の単独探検や、北極圏の極夜行で知られ、ほぼ毎年5ヶ月間グリーンランドを拠点に犬橇での狩猟旅をする。角幡さんにとって人生とは、旅とは、そして救いとは何なのかをうかがった。

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 何故探検家になったかというと、他人と同じことをしたくないからです。子どものころから、どういう生き方をしたら人生が報われるかを考えていて、小学校低学年の時に祖母の部屋で出した結論が「最高の女と結婚する」でした。幼い知恵を絞ったら、何故か女性が思い浮かんだんです。大学で山に登るようになったら、女は男の人生の本質じゃないって変わりましたけどね。

 学生時代も就職しようとは思わなかったですね。世間的な価値観に反発していて、オリジナルな生き方を求めていました。通勤電車に乗りたくない、歯車になりたくない、お金があるだけじゃ生きることの本質に届かないんじゃないかって。世の中に流されたくないというか、みんなが右を向くなら俺は左を向くという性格なんです。

未来が一瞬見えた、探検部との出会い

 探検部に入ったのは大学2年の時。勧誘ビラがきっかけです。世界地図に「メコン川全流降下」とか「コンゴ・ドラゴン・プロジェクト」など、胡散臭いものも含め沢山の探検が載っていて、未来が一瞬見えたような気がしました。

 それまで山登りもしたことがなく、いわゆるアウトドア活動への興味は皆無でした。でも、探検とは、誰も行ったことがない場所へ行くことであり、知られた山であっても、そこで誰もしたことがない活動をすること。常識では測れないことをやってみたいと惹き付けられました。

 大学4年の時からの2度にわたるチベット・ツアンポー峡谷の旅は、経験も無かった頃の単独行で、生きて帰れるだろうかという体験もしました。でも、まだ何者でもなかった僕にとっては、無謀と思われるようなことであっても、自己存在証明のための旅が必要だったんです。

 その後、41歳の時に北極圏の極夜を2ヶ月余り旅します。全く太陽が昇らない極地の漆黒の闇の中、GPSを持たず、犬1頭だけを連れ、橇を引いての悪戦苦闘の行程でしたが、なんとか完遂できました。この旅をやり終えたことで、自己表現の旅に一区切りがつきました。探検家としての人生も7割5分くらいは達成できたと感じています。

極北の氷原が自分の庭になる

 地球上に未踏の地がほとんど無くなった現代において、地図やGPSを持たない探検は、昔の探検家がどのように新しい世界と出会ったかを追体験することでもあります。僕にとってこれはすごく大事なことで、「脱システム」といっていますが、文明から解放された旅なんです。

 今は、グリーンランド最北端のシオラパルクを拠点に、1年の5ヶ月間を犬橇で移動しています。13頭の犬が引く橇で狩猟しながらの、かつてのエスキモー・スタイルの旅で、内陸氷床という氷の大陸を渡る能力が必須になります。

 なんの目印もない果てしなく広い氷原ですが、じっくり観察していくと、微妙な丘があったり、陽の当たり具合で色が変わったり影が出来たりして、それが目印になるんです。ガスが出て何も見えなくなる非常に危険なときもありましたが、足許の氷河の傾斜や距離の感覚を頼りに進んでいきます。方向を間違えるとクレバスに落ちる危険性もある中、身体に刻まれた記憶で進んでいくんです。こういう経験を経て、今では村から直線で500kmくらいの範囲が自分の「庭」という感じです。

尽きない意欲が救い

 僕は、20世紀初頭に南極点を目指しほぼ全員が死亡したイギリスのスコット隊など、探検家の冒険記が好きで影響を受けています。過去の探検家に触発されているのです。最近は、1920年代にイヌイットの民族調査や遺跡発掘をしながら犬橇でアラスカまで行ったラスムッセンという探検家の影響で、アラスカに行きたくなっていて、「庭」がどんどん広がりそうです。

 また、シオラパルクに50年ほど住んでいる唯一人の日本人、大島育雄さんは、イヌイットの言葉や発音、文化に関して豊富な知識があります。78歳のご高齢になっていることもあり、大島さんの経験は文化人類学的に貴重な資料だから遺しておきたいと聞き取りを始めました。

 家族のことを考えると、今後は日本を拠点に活動するのがいいだろうと、北海道への移住計画も進めているのですが、その一方で、49歳になった今、グリーンランドで犬橇でできることをやり遂げたいという気持ちも強く、自分の意欲を止められません。この意欲を生きる原動力と考えると、これを止めるのは老化、つまり肉体の限界なのではないか。この尽きない意欲、エネルギーが湧き続けていることが僕にとって救いになっていると思います。

■提供:真如苑

角幡唯介
1976年、北海道生まれ。探検家・作家。早稲田大学政治経済学部卒業。チベットのヤル・ツアンポー峡谷単独探検、極夜の北極探検など独創的な活動で知られる。近年は、グリーンランドを拠点に犬橇によるエスキモー・スタイルの長期旅行を実践している。『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞して注目され、『極夜行』で大佛次郎賞を受賞。近著に『地図なき山』など。

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