美馬学、原口文仁、森唯斗が現役引退…記録に残る名場面や珍場面 デビュー戦でウグイス嬢に間違えられた選手も
今年もファンに愛された多くの選手たちが引退し、思い出多い現役生活に別れを告げた。彼らの記憶に残る名場面や珍場面を振り返る。まずは、9月30日の引退登板で右肘屈筋共同腱を断裂するというアクシデントが話題になったロッテの美馬学についてだ。【久保田龍雄/ライター】
【写真特集】桑田、清原、松井…惜しまれつつも現役を引退したスター選手たちの青春時代
次からは意識しないで投げられる
楽天時代の2013年の日本シリーズ第7戦で勝利投手となり、チームを球団史上初の日本一へ導き、MVPに輝いた美馬だったが、それ以来、なぜか本拠地で勝てなくなり、レギュラーシーズンでは、2013年4月18日のオリックス戦での勝利を最後に25戦連続勝利なしの13連敗を記録した。
2014年4月29日のロッテ戦では、初回に2点を失い、なおも2死二塁のピンチで、クルーズの打球が股間を直撃、わずか17球で降板し、そのまま負け投手となった。翌15年4月8日のソフトバンク戦では、9回を5安打無失点に抑えたにもかかわらず、味方の援護なく、0対0で延長戦に突入して約2年ぶりの白星が幻に。降板直後の10回にチームがサヨナラ勝ちという間の悪さに泣いた。
周囲からジンクスを指摘されると、さらに苦手意識が膨らむという悪循環に陥り、「ビジターでは勝っているので」と、2016年4月20日のオリックス戦から、準備の時間をビジター時同様、約1時間遅らせるなど、涙ぐましいまでの努力を続けた。
そして、同年5月4日のロッテ戦、美馬は立ち上がりから制球が定まらず、いきなりデスパイネに先制タイムリー二塁打を浴びるなど、毎回走者を許す苦しい投球が続く。
5回には打球が右すねを直撃するアクシデントに見舞われたが、「ここで降りたら勝てない」と気力を振り絞り、1失点に抑えた。
その裏、銀次、ウィーラーの連続本塁打など味方打線が5連続長短打で4点を挙げ、5対2と逆転。6回を2失点でマウンドを降りると、7回から3投手の継投で5対3と逃げ切り。シーズンでは1112日ぶりに本拠地・コボスタ宮城で白星を挙げた。
「ベンチで祈りながら見ていた」という美馬は「ついに勝つことができました。次からは意識しないで投げられる」と、長いトンネル脱出に安堵の表情だった。
その後、2017年とロッテ時代の2020年、2022年に二桁勝利を記録するなど、通算80勝をマークした。
今日を忘れないように成長していきたい
他人のユニホームを借りて1軍デビューを飾った日に、7年目のプロ初安打を記録したのは、阪神・原口文仁だ。
2010年にドラフト6位で入団したが、12年の開幕前に椎間板性の腰痛を発症。翌13年から育成契約となり、3年以上にわたって「何度もくじけそうになった」苦闘の日々が続いた。
そして、2016年4月27日、前日の練習試合で4打数1安打4打点と結果を出したことが金本知憲監督に認められ、支配下復帰を果たすと、同日の巨人戦でベンチ入り。5回2死一塁、先発マスク・清水誉の代打として1軍初出場を果たした。
この日は背番号が124番から94番に変わったにもかかわらず、通常とは異なる「輝流ラインユニホーム」が使用されていたため、急きょ山田勝彦2軍バッテリーコーチの82番のユニホームを借りての出場となった。
プロ初打席は中飛に倒れたものの、そのままマスクをかぶり、8回の2打席目では左前にプロ初安打を記録。育成→支配下→1軍→初ヒットの「4階級特進」を果たした。
「今日を忘れないように成長していきたい」とさらなる飛躍を誓った原口は同年、出場107試合で、打率.299、11本塁打、46打点を記録し、監督推薦でオールスターにも初出場と、最良の1年になった。
記念すべきプロ初登板の試合で、ウグイス嬢の勘違いで別の投手の名前をコールされてしまったのが、ソフトバンク時代の森唯斗だ。
2014年5月11日の西武戦、7対1とリードした9回2死二塁、勝利まであと1人という場面で、秋山幸二監督は、プレッシャーのかからない場面で試運転させようと、柳瀬明宏に代えてドラフト2位ルーキー・森をマウンドに送り出した。
オープン戦4試合を無失点と結果を出しながら、左足太もも裏を痛めて、開幕を2軍で迎えた森は、この悔しさをバネに、1ヵ月出遅れた分を取り戻そうと、気合十分でマウンドに向かった。
[1/2ページ]


