「ドアの外まで夫婦喧嘩の声が…」 「実録」が書かなかった「香淳皇后」の知られざるお姿 「美貌の女官にヤキモチ、昭和天皇を睨みつけられ…」

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新興宗教に傾倒

 内に秘めた感情を思わず爆発させることもあった。元宮内庁侍医の杉村昌雄氏が書いた『天皇さまお脈拝見』(新潮社刊)には、こんなエピソードが紹介されている。昭和36年7月に先の東久邇成子さんが癌のため35歳の若さで亡くなった時のこと。もはや手の施しようがないと侍医から宣告された皇太后さまは、電極を患部に当てて治すという怪しげな施療師を宮内庁病院に呼び寄せた。無論、医師はすぐ止めるよう進言したが、

「お前たちは何を言う。あの病気、もう絶対治らんと言ったではないか。ところが、あの施療師は、少しは治るという。溺れる者は藁をも掴むというが、それが分からないか」

 と声を震わせて激昂し、ドアを荒々しく閉めて部屋を出ていってしまったという。

 皇太后さまは2男5女をもうけられたが、昭和3年に第二皇女の久宮祐子さまを生後半年で亡くされた。それだけに家族の健康には天皇家の中では誰よりも気を遣われた。

 それが高じて、昭和40年代には昭和天皇の顔面痙攣症を治癒しようと新興宗教に傾倒したこともあったというが、それもまた妻として、母としての感情に忠実な皇太后さまのお姿の一つだった。

 ***

 この香淳皇后のもう一つの素顔が、美智子上皇后陛下の「姑」としての顔である。従来、お二人の間には「確執」が伝えられてきたが、その真相とはいかなるものだったのか。巷間伝えられている「美智子さまいじめ」はあったのか。【後編】で詳述する。

デイリー新潮編集部

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