「ドアの外まで夫婦喧嘩の声が…」 「実録」が書かなかった「香淳皇后」の知られざるお姿 「美貌の女官にヤキモチ、昭和天皇を睨みつけられ…」
カエルのイタズラ
「皇太后さまといえば、まず思い浮かぶのは、いつも絶やされることのなかった気品と慈愛に満ちたあの笑顔でしょう。また戦前から戦後にかけての時代を知る世代には、神格化された昭和天皇を陰で支えた“国母陛下”としての印象が大きかったと思います」
とさるベテラン皇室ジャーナリストは振り返る。
「しかし、一方でその素顔は天真爛漫といっていいほど無邪気であり、明るく活発なご気性でした。実際、お元気なころの皇太后さまは、歌は歌うし、ピアノは弾くし、ご子息である今上陛下(=現・上皇陛下)が、まだ皇太子の時代には“しっかりしなさい”と言いながら、そのお背中をドーンと叩かれたりもしたそうです。ちょっとしたイタズラをされるのも大好きで、ある時は、御所で捕まえたカエルを箱に入れて女官に手渡し、知らずに蓋を開けた女官が驚くのを喜んで見ておられたこともありました」
昭和天皇と皇太后さまの第一皇女である故・東久邇成子さん(元照宮)の長男の東久邇信彦氏もこう語る。
「私たちは、(昭和)天皇陛下をおじじちゃま、皇太后さまを、おばばちゃまとお呼びしていましてね。あれは昭和31年ごろだったと思いますが、私と妹が御所をお訪ねした時に、まだ小さかった妹が、皇太后さまにマンボをお教えしたんです。皇太后さまは“これでいいの?”といいながら、一懸命に踊ってくださったものでした。また、その2年後ぐらいだったでしょうか。母が当時ブームだったフラフープを御所にお持ちしたことがあったんです。その時も皇太后さまは、一緒にフラフープを回して、楽しそうに遊んでいらっしゃいましたねぇ」
ヤキモチを妬いて…
生まれながらの姫君だが、驚くほどの意志の強さと冷静な判断力の持ち主でもあった。それは、昭和61年に公開された皇太子(=現・上皇陛下)に宛てた終戦直後の手紙からも窺える。当時、疎開先の日光にいた今上天皇(=同)に42歳の皇太后さまはこう書いた(昭和20年8月30日)。
〈この度は天皇陛下のおみ声をおうかがひになつたことと思ひますが(中略)残念なことでしたが これで 日本は 永遠に救はれたのです〉
〈こちらは毎日B29や艦上爆撃機 戦闘機などが縦横むじんに大きな音をたてて 朝から晩まで飛びまはつてゐます B29は残念ながらりつぱです〉
互いに「良宮(ながみや)」「聖上(おかみ)」と呼び合い、昭和天皇とは仲睦まじかったが、若いころは(昭和)天皇が美貌の女官に見とれるとヤキモチを妬いて睨み付けたし、戦後はしばしば夫婦喧嘩をなさることもあったという。
「吹上御所が新築された昭和36年以前は宮内庁の3階が仮御所になっていましたが、そのころはドア越しによく喧嘩の声が聞こえたそうです。ある日など、余りにもの凄い剣幕でやりあっていたので、お迎えに上った侍従も中に入れず困ったそうですが、いよいよ時間も迫って、思い切ってドアを開けると、皇太后さまは目に涙を溜めていらっしゃった。昭和天皇は頑固で学者肌でしたから、いつも折れるのは皇太后さまでしたが、そんな時は必ずお部屋に籠もってピアノを叩きつけるように弾いておられたそうです」(先の皇室ジャーナリスト)
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