元・尼神インター誠子、コンビ解散・吉本退所で仕事ゼロ、収入半減も「苦しくない」と語る理由

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「誠子食堂」を企画

 仕事がゼロになった時、「仕事がなかったら自分で作るんや」ということを学んだという。自分の持っているお金を使ってライブを企画したり、「誠子食堂」のような食のイベントを企画・運営したりしていく。

 当然、最初からうまくいくわけではなく、赤字になったりもした。でも、そこから「こういうやり方をしたら赤字になるんだ」ということを学び、次は少しでもプラスにしようと、お金や運営の勉強をし、徐々に利益を出せるようになった。

 収入面では、吉本に所属していた最盛期に比べると、半分だという。吉本にいた時は舞台の数も多く、1日に何本もお仕事をもらっていたが、今は仕事の数自体も減った。

「でも、全然苦しくないですね。なぜかというと、お金を『回している』という感覚があるからです。例えば、収入があったとしても、これを次のライブの資金にしようという考え方に今はなっています」

 何より大きいのは、心の豊かさが増えたことだという。

「仕事の数が減った分、一つ一つのお仕事にちゃんとやりがいと思いを込めて取り組めるようになりました。吉本にいた時ももちろん楽しかったですが、今はフリーという環境でしか得られない楽しさや悩みを経験しています」

 吉本を辞めて寂しさはある。19歳で吉本に入ってから、毎日吉本の芸人に会っていたので、大好きな芸人に毎日会えないという現在の状況は純粋に寂しいという。

 ただ、会社とは今でも仲良しだ。前のマネージャーには分からないことを聞いたり、普通にご飯に行ったりしている。誠子の主催ライブには吉本の芸人に出てもらうこともあるし、誠子も吉本のライブに出ている。辞めた後もこうして良好な関係を保っているのは珍しいらしい。

 現在の活動は、芸人としてのメディアやライブ出演に加え、2023年10月にはライフスタイルブランド「merci(メルシー)」を共同で立ち上げた。また、「誠子食堂」に関するイベントを全国で開催もしている。

 誠子がいう「フルスイングの大きなチャレンジ」は、着実に歩みを進めている。

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 第2回【「これってドッキリ?」元・尼神インター誠子が解散の真相を告白 相方・渚から突然の宣言に涙】では、誠子が自身の幼少期からコンビ解散までを語っている。

誠子
1988年、兵庫県出身。2007年、NSC大阪で同期だった渚と「尼神インター」を結成。24年3月末にコンビを解散、吉本興業を退所した。現在はフリーの芸人として活躍する一方、「誠子食堂」などの料理イベントなども行っている。

デイリー新潮編集部

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