【ばけばけ】ついにトキが知る「出生の秘密」だが…モデルのセツは自分の生まれを3歳から知っていた
養子縁組が当たり前の時代
「ばけばけ」の第3週では、結局、宇清水家の三男坊の三之丞(板垣李光人)が、トキは宇清水家の子だと暴露してしまい、トキは「出生の秘密」を知ることになる。だが、セツは自筆の「幼少の頃の思ひ出」に、次のように書いている。
「私はもらい児であるといふ事は三ツ位の時から知っていたが、もらい児といふ事を思ふのは一番いやな事でほんとに不愉快きわまる事であった。実父母とはとてもくらべにならぬほどに養ひ育ててもらった祖父、父母が大切でまたよかった、それは今に至るまで少しの変はりもない」
トキのモデルのセツにとっては、「あの話」、すなわち「出生の秘密」は、「不愉快きわまる事」ではあっても、秘密でもなんでもなかった。また、当時の日本人一般にとって、実子でないことは、取り立てて隠すべきことと認識されていなかったと思われる。
というのも当時、日本の家制度は養子縁組によって維持されていた。幕末の時点で、農民の戸主の2割程度は養子であり、武士の場合、その比率はもっと高かったといわれる。セツが生まれたのは慶応4年(1868)2月4日。のちに明治と改元される年で、このときすでに戊辰戦争が勃発していたとはいえ、ギリギリ幕末の生まれである。
当時の日本は多産多死だった。乳幼児の死亡率がきわめて高く、生まれた子のうち成人できるのは半数程度にすぎなかったので、それを多産で補い、子供ができなかったり、育たなかったりした家は、他家との養子縁組によって家制度を維持するのが当たり前だった。
家の存続のために当たり前のことだった
同じNHKで放送中の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」を例に挙げると、わかりやすいかもしれない。寛政の改革を進めるべく「暴走」する松平定信(井上祐貴)は、田安徳川家の生まれながら、陸奥白河藩の松平家の養子になった。11代将軍徳川家斉(城桧吏)は53人もの子をもうけたが、嫡男を除けば、乳幼児期に死亡しないかぎり、男子は各地の大名の養子になり、女子は各地の大名に嫁いだ。
セツの場合、女子なのに嫁ではなく養子に出たわけだが、それも不思議ではない。稲垣家には子供がおらず、仮に男子をもらえればベターだったかもしれないが、女子をもらっても婿をとれば家を存続できる。とにかく、家の存続が重要なのに、それが簡単ではなかった時代である。子供を融通し合って、たがいに家の存続をはかるのは当然のことだった。そういう状況だから、他家から譲り受けた子供に対し、「出生の秘密」を隠す習慣もなかった。
養子縁組が激減したのは、第2次世界大戦後、乳幼児の死亡率が低くなり、成人する子供が増えてからのこと。そういう時代には、養子はもはや例外なので「出生の秘密」として隠そうとしても不思議ではない。その意味で、「ばけばけ」で松野夫妻がトキに「秘密」を知らせまいとするのは、現代人の感覚である。
もっとも、「ばけばけ」は歴史ドラマというわけでもない。だから、「史実と違う」などと目くじらを立てるべき話ではないが、違和感を覚える部分ではある。




