“長嶋巨人最下位の元凶”と言われた「デービー・ジョンソン」 日本野球の洗礼を浴びた日(小林信也)
長嶋茂雄は引退してすぐ1975年に巨人軍の監督になった。
常勝巨人のファンは当然のように1年目からの優勝を期待した。しかし、3番、4番にサード長嶋の名がない。その穴は大きかった。
しかも、頼みの王貞治までがオープン戦終盤に足を痛め、序盤戦を欠場した。開幕戦のオーダーは1番柴田勲、2番富田勝(サード)、3番高田繁、4番末次利光。迫力不足は否めなかった。序盤から黒星が続き、最下位が目の前に迫った。
ファン待望のビッグニュースが飛び込んだのは、4月12日だった。
《巨人が現役大リーガーを獲得!》
(これで強くなる!)
巨人ファンは誰もが胸を躍らせた。何しろその新外国人がボルチモア・オリオールズで2度のワールドシリーズ優勝に貢献したデービー・ジョンソンなのだ。
ジョンソンは71年秋の日米野球で来日している。事前の報道で読売新聞は《すぐれた守りと野球センス》と見出しをつけてこう紹介している。
〈オリオールズの強さの秘密に二遊間の守りがある。二塁手ジョンソンは(中略)昨年、もっとも守備のうまい選手に贈られる「ゴールド・グローブ賞」を受け、名実ともに一流選手の仲間入りをした〉
アトランタ・ブレーブスに移籍した73年には二塁手史上最多の43本塁打を記録している。メジャーの大砲が来る! ファンの期待は最高潮に高まった。
20日夜の来日を伝える翌日の朝刊には、彼を知る他チームの外国人たちのコメントが並んでいる。
〈広島・ルーツ監督「パワーのある選手だ。(中略)これで巨人も手ごわくなる」
大洋・ボイヤー内野手「肩がいいし、野球もよく知っている。本職外だが、三塁も無難にこなすと思う。ホームランは25本ぐらいは打つだろう」
太平洋・ビュフォード選手「オリオールズで五年間一緒にプレーした。賢い選手だ。(中略)日本の野球をすぐに吸収するだろう」〉
ところが、ジョンソンは日本野球に苦しめられた。本職ではない三塁を長嶋の代わりに守らされた負担もあってか、現役メジャーの看板が無残なほどに、日本の投手に翻弄されたのだ。いつしか新聞は、〈ジョン損〉と書くようになり、巨人ファンでさえ、彼を呼ぶ時、頭に浮かぶのはその文字だった。結局1年目は打率.197、13本塁打。彼の不振が長嶋巨人最下位の元凶と言われた。
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