「ごきげんよう」で司会を32年「小堺一機」が明かすテレビ黄金期…師匠「堺正章」が“かくし芸”のメイキングで「見せなかった」こと

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萩本欽一さんの教え

 萩本さんは、昭和のテレビバラエティの礎を作ったことで知られる。小堺さんはじめ、多くの「欽ちゃんファミリー」タレントを世に送り出し、作る番組はどれもヒット。一時は、その視聴率を合計して「100%男」の異名も持った。その薫陶を受け、自身の番組や舞台もヒットさせてきた小堺さんだが、今のテレビ界をどう見ているのだろうか。

「僕がこの世界に入ったころ、テレビの現場では、“俺が見たい番組を、俺が作るんだ”とか“俺はこういう番組をやりたいんだ”という、熱い気概を持ったスタッフがたくさんいました。今はどうでしょう? かつて自分が見ていた“~みたいな番組を作りたい”と思って入ってきた人たちが、その通りに作ってしまう。「~みたいな番組」から先に行っていないような気がするんです。もちろん、熱い思いを持って入ってくる人もいるでしょうけど、今はコンプライアンスが厳しい。“これをやるとダメだから”やらないんじゃなくて、“怒られる”からやらない。でも、時代は変わるのだから、コンプラ重視の時代でも、自分が作りたいものを作るんだという、熱い思いは欲しいですよね」

 時代が変わったと思うことがもう一つ。小堺さんがトーク番組にゲスト出演する際、困ってしまうことがあるという。

「本番前にアンケートを書くんです。最近ハマっているものは? とか、何か始めたものは? これ、2~3行で書ききれないですよね。だから始めたものは自転車と書いて、“あとはスタジオで話します”と書きます。昔はディレクターが楽屋まで来て、最初に番組の説明を受けた後、ああだこうだと雑談をしながら内容を詰めました。今はアンケートをもとに進行を組み立てるから箇条書きのカタログみたいな、同じような番組になってしまう。『ごきげんよう』は違いました。トークでは着地点を決めず、ゲストのグライダーに一緒に乗って南へ行こうと思ったら北へ着地しちゃった……という展開でした」

 YouTubeなどの動画配信やSNSなど、新たに台頭してきたメディアに押されて劣勢が伝えられるテレビだが、最近、小堺さんが萩本さんと会った時、「テレビはこれからだよ」と言われたという。

「終わりだよ、と言われた時から始まる――大将(注・萩本さん)なりの独特な考えでしょうね。僕はテレビが映画を凌駕した時代から知っていますけど、あの頃も映画はもうだめだなんて言われていたけど、今も残っている。だからテレビがなくなることはないでしょうし、また新しい時代を築く可能性はあると思いますよ」

【第2回は「タレント『小堺一機』が“長寿番組”に恵まれる理由…“大将”が告げた『お前は50CCのバイクなのに60キロ出すからうるさい』という言葉の意味」芸能界のレジェンドたちから教えられた名言の数々】

〇小堺一機
1956(昭和31)年、千葉県出身。専修大学在学中の77年5月、TBS「ぎんざNOW」の素人コメディアン道場のチャンピオンになる。大学卒業後の79年4月、勝アカデミー研究生として一期入学。80年3月、同アカデミー卒業後、浅井企画へ所属。82年「欽ちゃんのどこまでやるの!」出演で大ブレイク。「ライオンのいただきます(後、ごきげんよう)」(フジテレビ系)司会をはじめ、「コサキンDEワァオ!」(TBSラジオ)、舞台など多方面で活躍中。

デイリー新潮編集部

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