「ごきげんよう」で司会を32年「小堺一機」が明かすテレビ黄金期…師匠「堺正章」が“かくし芸”のメイキングで「見せなかった」こと

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堺正章さんから受けたもの

「ごきげんよう」のプロデューサーだった故・横沢彪氏は小堺さんについて、こう記している。

〈僕に言わせれば、将来日本を代表するボードビリアンになれる可能性を秘めている。(略)もともと、歌の公開番組で本番が始まる前に舞台に登場して、お客相手にいろいろと約束ごとを面白おかしく話をする訓練をしていただけに、会場にいるお客さんと呼吸をしながらお笑いを進めていく才能は、いまの若手では珍しく上手なのだ。それに運動神経が抜群。舞台でステーンとこける演技をさせたら、テレビではカメラが追いきれないほど速くて、面白い。これができるのは、堺正章と彼くらいかもしれない〉(日刊スポーツ1992年10月10日付)

 横沢氏の予想通りになったのは、小堺さんが見事に証明している。ここで指摘している「歌の公開番組」とは、「紅白歌のベストテン」(日本テレビ系)で、出演していたのが堺正章さん(79)。小堺さんが「師匠」と慕う一人で、ものまねもしているほどだ。

「ネタや構成はスタッフと一緒に考えますが、全体的なステージングの要素は堺さんの影響をものすごく受けています。堺さんは、アメリカの素敵なショーマンみたいで、稽古が本当に好きな人です」

 堺さんはかつて、正月の名物番組だった「新春かくし芸大会」(フジテレビ系)で毎年、本業も顔負けの素晴らしい芸を披露したことで知られているが、

「ある時期からメイキングを放送するようになったでしょう。僕はあれで『かくし芸大会』の品位が落ちたというか、つまらなくなってしまったなと思うんです。和太鼓を叩いて指の皮がむけたとか、出演者がいかに“大変なのか”を見せる必要はないですよ。そうしたら、堺さんはさすがでした。アーチェリーをやったメイキングで一切、“大変だ!”とか“これは辛い”なんてやらないで、実に楽しそうに見せたんです。これこそがエンターテイナーだと僕は思うんです。実際は逆ですよ。大変な稽古をしています。でも、努力する過程や姿は見せない。そこがカッコいいんですよね」

 ただ、堺さんと仕事をしているとき、“怖さ”があったという。

「堺さんも若かったので、尖がっていましたね。ここでいう“尖がっている”というのは、気に入らないヤツを潰してやるとか、威張っているというのではありません。少しでもよいものを作るために、率先して周囲に叱咤激励を飛ばしている。だからピリピリしている感じが伝わってきて、近づきにくい時もありました」

 芸能界にかかわらず、どんな社会でも問題になるのは威張る人、偉そうにする人だ。小堺さんは芸能界入りするとき、寿司職人だった父に、こう言われたという。

「偉そうと言っても、“そう”だろう。本当に偉いわけじゃないんだ。“水っぽい”と言ったら不味いだろ。お前は偉くならなくてもいいから、“水”にならないとダメだぞ」

 同じことを教えてくれたのが、小堺さんにとって、もう一人の師匠である萩本欽一さん(84)だった。いわく「“本当に偉い人”と、“偉そうな人”は違う」。本当に偉い人ほど腰が低く、丁寧な人が多い。言葉や態度で上から目線で語らない――まさに小堺さんである。

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