公明党の惨敗を“自分たちの責任”と考える学会員はどれほどいるのか? 創価大卒ジャーナリストが語る「創価学会が公明党を見限る日」
もう票が取れないようなら、そう遠くない将来、創価学会は公明党を見限るのではないか――。非学会員の立場ながら創価大学で学び、四半世紀、学会と学会員たちの「内」と「外」、ふたつの視点から見続けてきた私にはそう思えてならない。今夏の参院選で公明党は改選14議席の死守ならず。獲得できたのは8議席。実に6議席を失った。【秋山謙一郎/ジャーナリスト】(全3回の第1回:敬称略)
***
【写真】創価大学出身の芸能人“二大巨頭”と、減少に歯止めがかからない公明党の“比例代表”獲得票数
大敗を喫した今回の選挙。だが、最大、唯一の支援団体であり、創設団体でもある学会で、実際に選挙の舞台裏を取り仕切った学会員たちの声は驚くほど冷静だ。
曰く、「もはや自民党との区別がない」「党として独自のカラーが打ち出せていない」「人も政策も無党派層を取り込めるパンチの効いた何かがない」といったところだ。
これら内側の声を、事情の知らぬ人に、「学会とは無縁の外側からの指摘だ」と言っても、きっと通用することだろう。かつて「内」と「外」の間では、その使う言葉の意味、価値観といったものに大きな乖離があったものだ。だが近頃ではそれがなくなりつつある。これは何を意味するのか。今から紐解いていく。
その昔、今夏の参院選のように学会員たちが応援した選挙で敗北を期したとなると、それはもう学会員たちの落胆ぶりは凄まじくとても声などかけられるものではなかった。
学会が応援して大敗という結果を迎えた選挙として思い起こされるのは、古い話で恐縮だが1996年の第41回衆議院総選挙だ。その選挙直後の創価大学キャンパス内での光景は、ただただ異様の一語に尽きた。
開票日の翌朝、学内では池田大作によって「栄光の道」と名付けられた石畳の道。そこに女子学生何人かが集まって泣いている。聞くとはなしに聞こえてきたのは、「先生(※)に申し訳なくて」「私たちの祈りが足りなかったから」といった声だ。
「俺たちの気の緩み」
同様の声は、ワンフロアが「池田先生・奥様のお部屋」だといわれていた、A棟という当時もっとも大きな学舎でも聞こえてきた。ある男子学生が後輩と思しき学生を前に、選挙結果の反省も兼ねているのか、こんな檄を飛ばしていた。
「俺たちは高木先輩を国会にお戻しできなかった。1万票差での負け。この票差はとても僅差とはいえない。敗因は俺たちに気の緩みがあったこと。そこに尽きる」――
この「高木先輩」とは、この創価大学のある東京都八王子市を選挙区とする東京24区から出馬した前職で、当時、メディアにも頻繁に登場し、「若手の論客」として売り出し中だった高木陽介である。言うまでもなく創価大学OBだ。
この時の選挙で公明党は、政界再編に参加したため解党、新進党に合流していた。高木も旧公明系の新進党候補としての出馬だった。その選挙前、熱心に選挙活動を行っている学生や大学職員らから次のような声が時折漏れ聞こえてきたことを思い出す。
「これまで外部(非学会員の人たち)に選挙のお願いをすると公明党だといえば学会と言われてやりにくかった。でも、新進党といえばお願いしやすい。とてもやりやすい」
だが、冷静に考えると、党派を問わず、「やりやすい選挙」などというものはない。たしかに先でも紹介した学生が口にしたように「俺たちの気の緩み」があったことは否めない。
[1/2ページ]


