「おじさんたたき」はもうバラエティーで笑えない? みちょぱにみりちゃむ… ギャルタレントの発言が炎上しやすくなった理由とは

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 先月放送の人気番組「有吉の夏休み」(フジテレビ系)で、タレントの野呂佳代が「体形イジリ」をされた際に「笑って見ていた」として批判された、タレントのみちょぱ(26)。なぜ、歯に衣着せぬ発言が支持を集めていたギャルタレントたちによる炎上が起こりやすくなっているのか――ライターの冨士海ネコ氏が分析する。

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 かつてギャルタレントは、テレビにおける「自由の象徴」だった。歯に衣着せぬ物言いで大人社会にツッコミを入れ、バラエティーの空気を軽やかに変えてきた。だが最近、その正直さがむしろ炎上を招いている。

 例えばみちょぱ(池田美優)さん。健康的な美貌と場の空気を読んだコメント力は、さまざまな芸能人の支持を瞬く間に集めた。あの有吉弘行さんも例外ではなく、人気番組「有吉の夏休み」にも召集されている。ただ、今年はタレントの野呂佳代さんが体形イジリをされている際、みちょぱさんが笑って見ていたと批判が起きたのだ。

 おそらく演出の一環であり、「お約束」の展開だったはず。だからこそみちょぱさんは不本意だったのだろう。かつての共演者であるフワちゃんの名前を挙げ、「だったらフワ帰ってこいよ!」とラジオで発言してさらなる炎上を招いてしまった。

 みちょぱさんとしては、かつて批判をフワちゃんが一手に引き受けてくれていたからという思いがあり、ラジオで言及したようだ。その義理堅さは、ギャルタレントたちが芸能界で重宝される理由でもある、「無遠慮だが根は優しい」「上下関係を重んじる意外な礼儀正しさ」にも通じる。

 時代遅れだろうと番組の演出に乗っかり、非常識でも自分を守ってくれた先輩を立てる。その立ち回りはみちょぱさんの「賢さ」として評価されてきたはずだが、今では「軽率」「偉そう」と受け止められているのはなぜか。それはギャルタレントというのは「おじさん」などの権威にかみつくカウンター的存在として多少の失言なども許されるポジションだったが、いつのまにか「分かりやすい敵」がいなくなったことで、むしろ権威的な立場になってしまったからではないだろうか。

みりちゃむの発言もプチ炎上 「おじさんたたき」はもうバラエティーで笑えない?

 同様の事例として、みりちゃむの発言も物議を醸した。「上田と女がDEEPに吠える夜」(日本テレビ系)に出演した際、偏食ならではのエピソードとして「(食べられるものが少ないため)目上の人とのご飯が一番嫌い」「ちょっといいところ連れて行ってあげようとか言われると、クソ迷惑」とコメントし、SNSでは批判の声が上がったのだ。

 数年前なら「ギャルらしくてイイ!」「キャラを分かっていて面白い!」で終わった発言ではないだろうか。若くて世間知らずに見えるギャルが、訳知り顔のおじさんMCをぶった切るという演出に、スカッとした爽快感を覚える視聴者だっていたことだろう。

 だが今は違う。加速する世の中の「おじさん嫌い」の空気に対して、カウンター的に「おじさんは弱者」「かわいそう」という視点も現れてきているのだ。汚い、臭い、イヤらしいとさんざんにこき下ろされ、「おじさん構文」「ぶつかりおじさん」「おぢアタック」など、おじさんと名のつく流行語は「迷惑」の代名詞となっている。

 そしてそのおじさん層を含む中高年が、今のテレビのメイン視聴者層である。現実で疲弊しているのに、テレビでまで馬鹿にされたくないというのはもっともだろう。かつてギャルがかみついていた「上の世代」は、今では同情を寄せられる対象でもあるのだ。

 翻ってギャルタレントたちは若く美しく、声も大きい。何かあればすぐ「キモい」「ハラスメント」と上の世代を突き上げる若者という、「強者」そのものの存在だ。結果、ギャルが発言すれば「強い者が弱い者をたたいている」と見なされる構図が出来上がった。つまり、図らずも上下関係が逆転してしまい、「かみつく相手」がいなくなってしまったのだ。

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