「皇室制度に地殻変動が…」…「彬子女王」の三笠宮家当主就任と「信子さま」の新宮家創設が意味するものは何か

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忠臣のDNA

 他方で女性宮家については、旧民主党政権下で野田内閣が皇室典範改正を視野に論点整理を行った際、有識者からヒアリングを実施。2012年2月の第1回ヒアリングで『武家と天皇』(岩波新書)などの著書がある歴史学者の今谷明横浜市立大学名誉教授(日本中世史)が「女性宮家は仁孝天皇の皇女の淑子内親王が桂宮を継いだ例もあり、決して不自然ではない」と言及するなどしている。

「200年の時をまたいで、江戸時代の光格天皇(光格上皇)以来となる上皇が再び実現したように、160年を経て女性宮家が彬子さまや信子さまのケースで再現したとみることも可能なわけです。国会での結論に先立って今回、三笠宮家のお家騒動に、2人の女性当主並立のカタチで終止符が打たれたことの意義は大きいのです」(前述の宮内庁OB)

 つまり、愛子さまや佳子さまが結婚後も皇室に残られる道筋がはっきり見えてきたということだろう。敬宮愛子さまの敬宮はあくまでも敬称であって宮号ではないが、たとえるなら「敬宮家」誕生へのプロセスが、国会が目先の政局で右往左往している間に図らずも大きく前進したのである。

 宮内大臣や内大臣として大正天皇と昭和天皇に仕え、戦後も昭和天皇の相談役を務めた牧野伸顕伯爵を曽祖父、いわゆるひいお爺さんに持つ麻生元総理。信子さまとのきょうだいの絆が、そして忠臣として皇室の存在を守ってきた一族のDNAが、女性宮家に対する姿勢に変化をもたらす可能性は十分に考えられる。

 前述の宮内庁関係者は、最後にこう語った。

「当事者のお一方が信子さまであることの意味は大きいと言えます。夫や子供を皇族とするか否かを前面に押し出して強行に合意反対を貫いた麻生元総理が、果たしてこれまで通りに強硬姿勢を続けられるのでしょうか」

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

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