そろそろ「学校給食」は限界ではないか…“宗教”や“食物アレルギー”への対応を回避するアメリカではポピュラーな“方法”とは

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規律は遵守した上で…

 このように、カネを払うことによって生徒個々人が食べるものを選択できたのだ。学内にはヒジャーブをかぶったイスラム教徒の女子生徒もいたが、彼女もカフェテリアで食べられるものを選び、カネを払って食べていた。

 そろそろ日本もこのようにしてはいかがだろうか。児童・生徒の選択制にして、学校や自治体に何かあった時の責任は負わせないという考え方だ。給食費を一律に徴収するのではなく、自分の食べたいもの・信教に合うものを選んで食べる。今回北九州市にクレームをした人だって、イスラム教徒生徒の信仰の自由を否定したかったわけではないだろう。

「なんで、声の大きい人に全体が合わせなくてはいけないのですか?」

 それだけの感覚であろう。だが、こうした声を上げる人は今や日本では「レイシスト」扱いになる。ただ、「郷に入っては郷に従え」という言葉が日本にはあるわけだ。期間は約3週間と短かったものの、私は911テロの後、パキスタンとアフガニスタンに取材に行った。

 その時、仮に私が「羊肉を食べることはできず、成人男性は酒を毎日飲まなくてはならない宗教」というものの信者だったらこの3週間はキツいものだっただろう。何しろ、毎日のように羊肉しか出ないのである! 酒については、目的の取材が完遂した後、ビールを飲みたかったので同じホテルに滞在していたスウェーデンのジャーナリストに闇ビールを買えないかと聞いたところロシア製ビールを売る書店を教えてもらえただけなのだから。

 この時飲んだビールのウマかったこと! しかし、私はアフガニスタンとパキスタンの宗教上の規律は尊重した。「なんで豚肉を出さないんだ! なんで酒を出さないんだ!」と主張する気には到底なれなかった。

 いわゆる「多様性」というものは、「否定」から入るのではなく、受け入れたうえで、「だったら私が求めるものをどこから手に入れるか」から入るのだろう。それがアフガニスタンで闇ビールを買った私の心境である。

 今回の北九州の給食や、イスラム教徒が「土葬」を求める件については批判が多数寄せられた。正解はないものの、私自身は外国に渡った場合、その国の文化には従おうと思う。何しろ、アメリカのステーキ店で私の父親が「醤油をくれ」とウェイターに言った時に「やめなさい!」と言ったぐらいなのだから。

ネットニュース編集者・中川淳一郎

デイリー新潮編集部

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