「いっそマリノスを手放してくれたほうが良かった」 「横浜M身売り」否定の日産にサポーターの本音 強化は提携先任せ、有力OBも遠ざけ…「ここ数年、チームは“死に体”となっていた」
巨額資金でクラブハウスをオープン
マリノスが、日本サッカー界を支えてきたクラブであるのは間違いない。創部は1972年、日産自動車サッカー部が始まりだ。日本リーグ時代、とりわけ1980年代になると、読売クラブと人気、実力両面で覇権を争う強豪となった。加茂周監督や、水沼貴史、木村和司、前出の松永の各選手ら、日本代表を支える人材を輩出してきた。
1993年にJリーグが発足した際には、スタートから参入。1995年に初優勝を遂げると、以来、優勝5度は鹿島アントラーズに次ぐ2番目の回数だ。同じく鹿島と共に、一度もJ2に落ちたことがない球団である。
かつての日産自動車はチーム愛に満ち溢れていた。日本リーグ時代、スタジアムには日産の社員が押し寄せ、「我がチーム」に声援を送った。2006年、本社を銀座から横浜に移転した際には、巨額の資金を投入し、みなとみらい地区に「日本一」と言われたクラブハウス「マリノスタウン」をオープンさせるなど、全面的に支援をしてきた。人気、実力共にトップクラスで、「Jリーグの優等生」とも言われたほどである。
ジプシー状態
しかし、躓きの石はやはり本社の経営不振であった。リーマンショックにより、2008年以降、日産は苦境にあえいだ。年間10億円と言われるマリノスへの資金提供を止めざるを得なくなり、マリノス本体も債務超過に苦しむように。そこで当時のカルロス・ゴーン社長は球団の増資を決断する。2014年、英プレミアリーグの強豪、マンチェスター・シティーなどを傘下に持つ「シティ・フットボール・グループ(CFG)」が約20%の株を取得することになり、パートナーシップ提携を結んだ。ちなみにCFGの親会社はアラブ首長国連邦の投資グループ、アブダビ・ユナイテッド・グループである。
これ以後、マリノスはCFGルートで有力海外選手を獲得できるようになり、2019年、2022年とリーグ優勝を果たした。提携の試みは成功したかに見える。しかし、
「以後、日産側は、監督や外国人選手などの補強はすべてCFG任せになった。最終決断はマリノスの社長が行いますが、このポストには、サッカーに関しては素人な人材ばかりが本社から送られてきている。マリノスは、チームに関わる判断はCFG任せで、とにかく運営を赤字にしないようにすることだけが、クラブの大きなミッションになってしまった」(ベテランのサッカー担当記者)
球団そのものの経営状態は悪くないものの、これではクラブが変質してしまったと捉える向きも少なくなかったであろう。マリノスタウンも2016年に閉鎖され、以降、チームはあちこちの練習場を転々とする「ジプシー状態」となってしまった。長期的な戦略構築の姿勢が遠のき、短期的な経営合理性が全面的に追求されるようになってしまったのである。
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