「痛い」女子アナほど女優向き? 連続ドラマ初主演に見る宇垣美里の不器用さ
10月からテレビ東京のドラマ「できても、できなくても」で主演を務める、フリーアナウンサー・宇垣美里(34)。これに対しSNSなどでは「また女子アナか」などの声も見られるが、なぜフリー女子アナが女優に挑戦すると反感を買ってしまうのか。【冨士海ネコ/ライター】
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宇垣美里さんという存在は、常にその多才ぶりとズバズバした物言いに注目されながら歩んできた。だが不思議なことに、フリー転身後はその知名度の高さに比して「爪痕を残した」という印象は薄い。メディア露出も決して少なくはないのに、フリー女子アナ戦国時代の現代にあっては、「田中みな実には及ばない」とか「森香澄にポジションを取られた」などと言われてしまう。世間の評価は「痛い女」という冷たい言葉で片付けられてしまうことさえある。
しかし、この「意外と爪痕を残せていない」という評価は、本当に彼女の限界を示すものだろうか。むしろそれは、彼女があまりにも真面目に「自分をどう見せるか」に取り組み続けてきた証しなのではないだろうか。
宇垣さんといえば、TBS女子アナ時代から「毒舌」というイメージがつきまとってきた。愛らしいルックスに似合わず気の強い発言をすることで、視聴者からは「こんな女子アナ見たことない」と面白がられ、ネットニュースでも話題に。一方でアニメやマンガにも造詣が深く、取材に訪れたコミケでは人気キャラのコスプレをするなど、爪痕を残しまくっていた。
しかし、降板を告げに来たプロデューサーからもらったコーヒーを、本人の目の前で流しに捨てたというエピソードを披露した時、潮目は変わったのではないだろうか。さすがに「無礼」「尖りすぎ」と反感を買っただけでなく、彼女が発する一言一言は、笑いよりもとげとして扱われるようになってしまった。
今や「毒舌タレント」ブームは収束し、辛口な物言いは「鋭い」ではなく「感じが悪い」「品がない」と受け止められやすい。宇垣さんの発言も内容そのものより口調にフォーカスされ、「痛い」「怖い」と評されるようになる。だが宇垣さんのそうした振る舞いは、他人を斬りたい欲望の表れというより、むしろ自分を守るためのよろいではなかっただろうかと思うのである。
田中みな実や森香澄とは実は真逆 「あざとさ」より「知性」にこだわった不器用さ
同じ路線として見られやすい森香澄さんや田中みな実さんは、「モテ」「あざとい」という役回りを自ら引き受け、セルフプロデュースに成功した。同性からの反感を浴びる危うさはあっても、戦略としては明快だ。結果的に、「かわいくなりたい」「モテたい」同性からの支持も獲得している。
一方の宇垣さんは、その道を選ばなかった。彼女がこだわったのは、「あざとい」と見なされない「知性」や「表現力」だったように感じる。コスメやスイーツだけでなく、読書や映画への造詣、言葉選びの繊細さ、執筆活動への挑戦。従来の女子アナ像をなぞるような見え方に徹底して反発し、かわいいけどこびないし強い、彼女が愛するセーラー戦士たちのような新しい女性像を模索しているようにも見えた。
だがその意気込みがあまりに真っすぐ過ぎるがゆえに、時に空回りしてしまっていた。女性らしい見た目に理想を押し付けて近づいてくる人々を振り払うため、わざと「とげとげしい」「男っぽい」「毒舌」というキャラクターを演じる。それは計算高いセルフブランディングというより、むしろ「真面目過ぎてキャラづけの加減が分からない」不器用さの表れだったのではないかと思うのだ。
宇垣さんはフリー転身後、「何にもなりたくなかったし、何でもやりたかった」「どんな人なんだろうと思われる、謎の人でありたい」と語っていた。実際に執筆も対談も女優業も、彼女の多才ぶりは多くの人が知るところだ。けれども宇垣さんの、その「わたしに期待する役割を押し付けないで」という臆病さによって繰り出される言葉の盾の力が強過ぎて、人を寄せ付けないように映ってしまう。
つまり宇垣さんが「痛い」「怖い」と言われてしまうのは、計算づくの小悪魔的戦略ではなく、誠実であるがゆえの振る舞いが時に過剰になってしまうからなのではないだろうか。「意外と爪痕を残せていない」と評される理由は、宇垣さんの能力不足ではない。多才であるがゆえに敏感過ぎ、真面目過ぎて加減ができないというその不器用さによるものなのだろう。
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